バンクサイドB発電所(1947年 - 1981年)
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バンクサイド発電所の再開発計画は戦争で一時中断されていたものの、1944年、シティ・オブ・ロンドン・エレクトリック・ライトニング・カンパニー・リミテッド(英語版) (CLELCo) によって再始動された。最大発電容量300MWの新発電所を建設する計画が立てられ、1944年にはロンドン・カウンティ・カウンシル(英語版)に計画が提出された。1943年にはカウンティ・オブ・ロンドン・プラン(英語版)として、サウス・バンク地区をオフィスや住居用フラット、教育・文化機関へ再開発する計画が立てられていたため、地区の工業化を推し進める発電所再開発計画は大きな議論を呼んだ。新しいバンクサイドB発電所の建設は、1947年4月にイギリス内閣によって承認された。バンクサイドA発電所・B発電所という呼称は、A発電所が廃炉になる前、両発電所とも稼働していた1947年から1959年までの12年間のみ使われた名称である。 建物のデザインはジャイルズ・ギルバート・スコット(英語版)が担当した。彼はリヴァプール大聖堂(英語版)やレッド・テレフォン・ボックス(英語版)を設計し、バタシー発電所のアールデコ調外装なども担当した人物である。発電所は全長155 m (509 ft)、幅73 m (240 ft)で、鉄骨構造のブリック・カテドラル・スタイル(英: The brick cathedral style)で建設され、中央煙突は99 m (325 ft)の高さがあった。建設計画は3つの区画に分けられ、85フィート (26 m)の高さがあるタービン・ホール (en) が中心に存在し、北側に機械室、南側に変圧器やスイッチ室が作られた。発電所の建物は、カウンティ・オブ・ロンドン・プランで提案されていた並木道を後々整備できるよう、テムズ川からセットバックとして少し下げて建設された。 B発電所は石炭を動力源とする計画だったが、石炭不足による電力危機が1947年初頭に発生し、石油動力源に切り換えられた(イギリスの石油火力発電所として最初期の例でもある)。バンカーC重油(英: Bunker 'C' oil)がシェル・ヘヴン(英語版)精製所からテムズ川経由で輸送され、建物南側地下に設置された3つの巨大タンクに貯蔵された。タンクはそれぞれ直径28m、高さ7.3mで、4,000トンの油を貯蔵できた。発電所での油の最大消費量は1時間毎67トンだった。 建設は1947年から1952年と、1958年から1963年の2期に分けて行われ、古いA発電所は新発電所の建設中も稼働を続けた。建物の西半分と煙突が最初に完成し、4機のボイラーと60MWのターボ・オルタネーター2台を使って、1952年に新発電所最初の発電が行われた。A発電所は1959年3月に閉鎖され、東側区画の建設が始まった。建設は1963年12月に完了し、新しい区画にはボイラー1台、ターボ・オルタネーター2台(120MWと60MW各1台)が設置され発電が始まった。B発電所の最大発電容量は300MWだった。
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