バンクサイドA発電所(1893年 - 1959年)
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後にバンクサイドA(英: Bankside A)として知られることになる発電所は、電力需要の拡大に伴って複数回の拡張を繰り返した。 全長230フィート (70 m)・幅50フィート (15 m)のエンジン・ルームは1893年に建設され、内部にはウィランズ(英: Willans)製のエンジンが組み込まれた350 kW・400 kWの交流発電機が2機ずつ設置された。これに繋がるボイラー室は、同じ全長を持ち、バブコック・アンド・ウィルコックス製のボイラーが9台設置されていた。1895年、エンジン・ルームは42フィート (13 m)、ボイラー室は300フィート (91 m)に延長され、後者には22台のボイラーが設置された。 フリート・ストリートの印刷業者向けの直流電流は、バンクサイド発電所へ1900年に建築された直流発電所から供給されていた。 1901年、ボイラー室は幅を2倍に拡張し、46台のボイラーが設置された。エンジン・ルームには3つのクランクが付いたウィランズ製のエンジンへ直接繋げられる形でブリティッシュ・トムソン=ヒューストン(英語版)製のオルタネーター(交流発電機)が10台導入されたほか、2つのシリンダーが結合したブラッシュ製のエンジンで稼働し、3,600 kWの動力を持つブラッシュ製の交流発電機が8台、150rpmで1,500 kWの交流発電機を動かす、互いに繋がれた2台フェランティ製エンジンが設置されており、合計で10,500kWを出力できた[要出典]。1907年までに発電所の出力は25,500 kW まで上がり、更に直流発電機 15,000 kW も設置された。 2,500 kW のターボ・オルタネーターは、1台目が1910年12月、2台目が1911年1月に導入され、その他はおよそ1年の間隔を空けて順々に設置された。1920年までには7台が導入され、出力は総計で19,500 kW に至った。1919年まで、発電システムは2 kV・単相交流と450ボルト直流であったが、この年に11 kV・三相交流に交換された。蒸気条件も150psiから250psiに能力が上昇し、660 °F (349 °C)まで加熱できるようになった。 1921年から1928年にかけ、発電所の東側に新たなボイラー室が建設された。内部には18台のボイラーが設置され、1921年の石炭ストライキを受けて内6台は石油動力源のものにされたが、この中の2台は、その後石炭動力源のものに交換された。この建設を受け、古いボイラー室と150フィート (46 m)あった煙突3本は取り壊された。 バンクサイドA発電所の発電容量・出力年発電容量 (MW)年次出力 (GWh)接続 (MW)1910 25 25.2 37.4 1915 34.5 29.5 46.2 1923 34.5 49.2 70.1 1928 89 79.5 99.4 1934 89 114.1 131.7 1945 89 103.0 127.8 1934年、バンクサイド発電所はナショナル・グリッドのロンドン発電網に接続し、中央電力庁が操業指揮を行う「選ばれた」発電所(英: a 'selected' station)になった。
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