ナポリの征服、1077年–1139 年
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「ノルマン人による南イタリア征服」の記事における「ナポリの征服、1077年–1139 年」の解説
公的には東ローマの領地であるナポリ公国(イタリア語版)はノルマン人の支配が及ばない南イタリアにおける最後の国の一つであった。ナポリ公国は、1020年代にセルジオ4世がランドルフォ・ドレグノットに支援を求めて以来、わずかな例外を除きアヴェルサとカプアのノルマン人の同盟者であった。1077年に始まるナポリのアルタヴィラ朝の王国への編入が完遂するには16年費やした。 1074年夏にカプア公リッカルドとロベルト・グイスカルドとの間で敵意が燃え上がった。ナポリ公セルジオ5世(英語版)は後者と同盟してその軍勢に町の中央部を供給した。セルジオのリッカルドに対する行為が彼を苦しめた。リッカルドはローマ教皇グレゴリウス7世の支援を受けていたからである。6月にリッカルドはナポリを包囲したが短期で終わった。リッカルド、ロベルト、セルジオ5世は時期にダウフェリウス・ディ・モンテ・カッシーノから提供された仲介を通じてグレゴリウス7世との交渉を開始した。 1077年にナポリはリッカルドによって包囲され、ロベルトによって海上封鎖された。包囲中の1078年にリッカルドが死んだ後にその死によってわずかに破門が撤回され、後継者であるジョルダーノは教皇に自身の権利を認めさせるために包囲を止めてこれがセルジオ5世と和解させることとなり、包囲は中止されてロベルトの軍勢は四散した。 1130年に対立教皇 アナクレトゥス2世はルッジェーロ2世にシチリア王位を授けてナポリが彼の王国の封土の一部であることを宣言した。 1131年にルッジェーロ2世はアマルフィ市民に対して彼等の町の強化と城の鍵を要求した。市民が拒絶するとナポリ公セルジオ7世(イタリア語版)は最初は艦隊でアマルフィ市民を攻撃する準備をしたが、アンティオキアのゲオルギウスがより強大な大艦隊で以てナポリの港を海上封鎖して、セルジオ7世はアマルフィ市民の圧力に震え上がってルッジェーロ2世に屈服した。アレッサンドロ・テレジノ(イタリア語版)の年代記によると、「ローマの時代より殆ど剣で征服されることのなかったナポリは、報告の断片によると、今やルッジェーロの力に屈した」 。 1134年にセルジオ7世は、カプア公ロベルト2世(イタリア語版)とアリーフェ伯ライヌルフォ2世(イタリア語版)の反乱を支援したが、ルッジェーロ2世と直に対決すること関しては幾つかは避けた。カプア陥落後にセルジオ7世はルッジェーロ2世に忠誠の誓いを行った。1135年4月24日にカプア公ロベルト2世率いる8,000人の強化兵を載せたピサ艦隊はナポリに投錨した。ナポリは、次の2年間ルッジェーロ2世への反乱の中心として奉仕した。セルジオ7世、ロベルト2世、ライヌルフォ7世は1136年の春までナポリで包囲された。この時まで多くの人が餓死した。それにも係わらず歴史家で反乱の共感者であるファルコーネ・ベネヴェントク(イタリア語版)によるとセルジオ7世とナポリ市民は、「悪王の圧政下に屈するよりは餓死した方がましだ」と弱みを見せなかった。ナポリの海上封鎖はセルジオ7世とロベルト2世がそれぞれ別個の機会の際にピサに赴きルッジェーロ2世の著しく不十分な努力をより多く回復させるのを妨害するには余りにも不成功であった。神聖ローマ皇帝ロタール3世指揮する救援軍がナポリ救援のために進行してくると包囲は解かれた。しかしながら翌年にロタール3世が急いで引き上げると、セルジオ7世は完全な赦免を見返りとして再びルッジェーロ2世に服従してノルマン式での封建的な忠誠の誓いを果たした。 1137年10月30日にリニャーノの戦い(イタリア語版)で最後のナポリ公はルッジェーロ2世に仕えて共に死んだ。 しかしながらリニャーノの敗北はノルマン人のナポリ征服への道を開くこととなった。セルジオ7世が後継者残さず没して以来、ナポリ貴族は誰を新公位につけるべきか合意に達することが出来なかったからである。それにも係わらず、セルジオ7世の死とナポリのシチリア編入の間にはその間2年間があった。貴族は当面の間は権力を行使していたと思われる、このことは大概、この暫定期間がノルマン人による征服以にナポリが独立していた最終的に目立った時期であったと推測される。この間、ノルマン人の地主が最初にナポリに現れた。ピサはルッジェーロ2世の敵であったが、ナポリとの同盟を維持した。ことによるとピサは1139年までナポリ独立を支えていた。同年にルッジェーロ2世は最終的に公国を王国へ吸収した。ローマ教皇インノケンティウス2世とナポリ貴族はルッジェーロ2世の三男アルフォンス(イタリア語版)を公として承認した。
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