トルーマン‐ドクトリン【Truman Doctrine】
トルーマン・ドクトリン
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トルーマン・ドクトリン(Truman Doctrine)とは、アメリカ合衆国が「武装少数派、あるいは外圧によって試みられた征服に抵抗している、自由な民族」を支援するとした、当時のアメリカ合衆国大統領ハリー・S・トルーマンによる共産主義封じ込め政策(Containment)である。実質的な冷戦の始まりとされる。
トルーマンは、1947年3月12日に議会への特別教書演説で宣言を行った。それはギリシャ内戦を始めとする共産主義に抵抗する政府の支援を特に目指した。トルーマンは、もしギリシャとトルコが必要とする援助を受けなければ、ヨーロッパの各地で共産主義のドミノ現象が起こるだろうと主張した。
トルーマンは、1947年5月22日に法律に署名し、トルコとギリシャへの総額4億ドルの軍事と経済援助を行った。
歴史的意義
トルーマン・ドクトリンが宣言された背景として、以前からギリシャ内戦に介入してきたイギリスが、その負担の重さからこれ以上介入を続けられなくなったことがある。
まず、アメリカがモンロー宣言以来の孤立主義と訣別し、南北アメリカ大陸以外の諸地域、とくに合衆国が伝統的には距離を置いてきたヨーロッパにも積極的に介入を進めていくという点。そしてそれは即ち、ギリシャ内戦中に英領インド(のちのインドやパキスタン・バングラデシュなど)を手放すなど斜陽化が進むなかで国際情勢に積極的に介入してきたイギリスに代わり、第二次世界大戦では連合国の盟主を務めたアメリカが世界の紛争に介入するという点、つまり「パックス・ブリタニカ」の終焉と「パックス・アメリカーナ」の到来(同時にそれは東側諸国にとっては「パックス・ソヴィエティカ」であった)。この2点を事実上、世界に宣言したことが、トルーマン・ドクトリンの重要な意義である。
アメリカ国内の保守派の受け止め方は様々であった。伝統主義者はトルーマン・ドクトリンを海外への非介入主義を破るものとして冷ややかに見ていたが、より積極的な反共主義者の中にはトルーマン・ドクトリンを共産圏を封じ込めるだけで過度に追い詰めないものとして批判し、ソ連に対する先制攻撃(予防的戦争)を主張する者もあった[1]。
脚注
- ^ 中岡望 『アメリカ保守革命』 中央公論新社、pp. 55-62
文献情報
関連項目
トルーマン・ドクトリン
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「アメリカ合衆国大統領のドクトリン」の記事における「トルーマン・ドクトリン」の解説
詳細は「トルーマン・ドクトリン」を参照 トルーマン・ドクトリンはソビエト連邦によるヨーロッパと中東への侵略に対するアメリカの政治的回答であり、具体的にはイラン、トルコ、ギリシャにおける共産主義運動を指していた。結果的に、アメリカのソ連に対する外交政策は、ジョージ・F・ケナンが表現したように、「封じ込め」へと変化した。 トルーマン・ドクトリンのもと、アメリカは共産主義政権によって脅威にさらされ、共産主義に抵抗する国家が援助を求めた場合のために、資金、武器や軍隊を送る準備を整えていた。ハリー・S・トルーマン大統領の言葉にあるように、それは「武装した少数派や外国の圧力によって服従させようとする試みに対して抵抗する自由な人々を支援するアメリカの方針」となった。 トルーマン大統領は、ギリシャ内戦(1946–1949)の危機のさなか、1947年3月12日に行われた議会への演説において宣言した。 トルーマンはもしギリシャとトルコが彼らが必要としていた援助を受け取らなかった場合、彼らが共産主義者の手に落ちていくことは避けられないことであり、さらにこの地域に広まっていくと主張した。 1947年5月22日、トルーマンはトルコとギリシャに4億ドルの軍事的、経済的な援助を行う法律に署名した。しかしながら、このアメリカの援助は、もはや経済的に与えられる地位になかったイギリスによる様々な援助にとってかわられた。 例えば、1947年以前はイギリスによって実行されていたギリシャの共産主義者に対する封じ込めと反対する政策はその多くがアメリカによって引き継がれた。 ドクトリンはまた、その後ヨーロッパのほかの場所でも行われた。イタリアやフランスなど、共産主義運動が盛んにおこなわれていた西ヨーロッパ諸国の政府は、様々な援助が与えられ、共産主義者が政権につくことがないように援助を受けた。いくつかの観点において、これらの運動はソ連や東ヨーロッパにおける反対者グループの粛清の動きに対する反応であった。
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