上院議員時代後期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/25 05:06 UTC 版)
「アーサー・ヴァンデンバーグ」の記事における「上院議員時代後期」の解説
1941年12月7日(米国時間、日本時間では12月8日)、真珠湾攻撃の一報がもたらされると、ヴァンデンバーグは大いに衝撃を受けた。彼は日記に孤立主義はこの日をもって終焉したと書いた。真珠湾攻撃を機に、ヴァンデンバーグは孤立主義者から、政権の外交・安全保障政策を支持する国際主義者へ転じた。戦後秩序の構想にも熱心であり、1945年には国際連合設立のために開かれたサンフランシスコ会議に出席した。その後も上院を代表して、数多くの国際会議に出席した。1946年には国連総会に出席、連合国(米、英、仏、ソ)外相会議にもアドヴァイザーとして出席した。1947年にはリオ・デ・ジャネイロで開かれたパン・アメリカ会議に出席し、米州相互援助条約の締結に大きな役割を果たした。冷戦が始まると、トルーマン政権の冷戦政策:トルーマン・ドクトリン、マーシャル・プラン、北大西洋条約機構(NATO)に賛成し、議会でのコンセンサス形成の立役者となった。ヴァンデンバーグは冷戦初期のいわゆる超党派外交の共和党側の指導者であり、共和党が1946年の中間選挙に勝利し、上院で多数党となると上院外交委員長に就任した。マーシャル国務長官辞任後の国務長官候補に擬されたこともあった。
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