上院議員当選、前妻・娘を失う事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 16:51 UTC 版)
「ジョー・バイデン」の記事における「上院議員当選、前妻・娘を失う事故」の解説
1970年11月にバイデンはニューキャッスル郡郡議会(英語版)選挙の第4区に民主党候補として出馬し、当選を果たした。この頃は弁護士としての活動を開始してから間も無い時であった。 その後、1972年11月の上院議員選挙に民主党から出馬する。この時現職だった共和党のJ.キャレブ・ボッグス(英語版)議員は、著名な議員の1人であったが、ボッグス議員は政界引退を考えていた。しかしながら、共和党内でボッグスの後継をめぐって、デラウェア州選出の下院議員だったピエール・S・デュポン4世(のちデラウェア州知事)と、ウィルミントン市長であったハリー・G・ハスケル・ジュニアが対立し、共和党陣営内での分裂が生じた。この打開策として、リチャード・ニクソン大統領はボッグスにもう1期出馬するよう要請し、共和党が全面的に支援することを約束したため、ボッグスもこれを受諾した。しかしながら、最終的にはバイデンがボッグスを破って勝利を収めた。連邦上院議員では建国以来5番目の若さでの当選となった。 1972年12月18日、妻のネイリアが交通事故で亡くなった。彼女はクリスマスの買い物をするため、3人の子供たちを連れてデラウェア州ホケッシン(英語版)に車で出かけていたのだが、ネイリアの運転するステーションワゴンは、交差点でトレーラーに追突され、ネイリアとまだ幼かったナオミが死亡し、ボーとロバートは生き残ったものの、瀕死の重傷を負った。当時の警察の記録はすでに失われているが、当時の新聞の報道はトレーラーの運転手に過失は無いことを明らかにしている。なお、この日は連邦上院議員に当選した直後であった。
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