上院議員就任と二人の兄の暗殺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 15:37 UTC 版)
「エドワード・ケネディ」の記事における「上院議員就任と二人の兄の暗殺」の解説
1962年11月7日に民主党のマサチューセッツ州選出の連邦上院議員に当選した。最初に上院に入った時、彼は年功序列を積んだ南部のメンバーに対して敬意を表する態度を維持して宣伝を避け、委員会の仕事と地域の問題に焦点を合わせた。事務職で彼は自分の兄たちと度々比較されたものの、どちらよりも愛想が良かった。上院では民主党上院院内幹事(1969年 - 1971年)、司法委員長(1978年 - 1980年)、労働委員長(1987年 - 1995年)、厚生・教育・労働・年金委員長(2001年 - 2003年)を歴任した。 1963年11月22日に兄ジョンが暗殺された時は上院本会議の議長席にいた。13時42分(東部標準時・ダラス時刻12時42分)に通信社からの至急電を持った議会スタッフのリチャード・リーデルより兄の暗殺を伝えられた。その後、姉のユーニスとともに、脳卒中で療養中の父ジョセフに暗殺の報を伝えるため、ハイアニスポートに向かった。 1968年6月5日に兄ロバートがカリフォルニアの予備選挙で勝利したときはサンフランシスコにいた。そして真夜中過ぎにロバートはロサンゼルスで狙撃され、翌日死亡した。ロバートの葬儀の際に、彼は弔辞を読み上げている。 兄達の死後、ケネディは13人の甥と姪たちの親代わりとなった。また、義姉ジャクリーンがアリストテレス・オナシスと再婚する際には交渉役となった。
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