デンマーク=ノルウェー時代まで(~1814年)
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「ノルウェーの経済」の記事における「デンマーク=ノルウェー時代まで(~1814年)」の解説
「ハンザ同盟」、「カルマル同盟」、「伯爵戦争」、「デンマーク=ノルウェー」、および「デンマーク=ノルウェーの宗教改革」も参照 ヴァイキングで興隆したノルウェーは一時期、クヌーズ率いるデーン人の北海帝国に11世紀中ごろ支配されていたが、12世紀末に独立を回復した。13世紀には塩漬けの鰊や干し魚といった海産物や木材などをイングランドへ輸出し、穀物、武器、毛織物を輸入するといったイングランドとの通商で繁栄していた。しかし、14世紀半ば以降にはヨーロッパで大流行したペストがノルウェーにも蔓延し、1400年には13世紀の半分にまで人口が激減した。生き残った農民は肥沃な農地へと移動したため、耕作放棄地が増加していった。ノルウェーの指導者階級である貴族層も自領の経営に事欠き、スウェーデンやデンマークの貴族と通婚することで勢力の維持を図るだけであった。 一方、バルト海を中心にリューベックを盟主としたハンザ同盟が結成された。ハンザ同盟は通商圏拡大の過程の中で、ベルゲンに在外公館を設置した。ノルウェーはドイツから塩や穀物などを輸入する一方、輸入した塩を利用して、干し鱈や塩漬け鰊を加工、輸出するといった原料供給地・商品市場へと化し、ハンザ同盟の商圏の周辺部に組み込まれていった。 1397年、デンマークのマルグレーテ1世がカルマル同盟を締結、デンマーク、スウェーデン、ノルウェーの北欧3国がデンマークの下に支配されることとなった。 15世紀にはカルマル同盟とハンザ同盟の対決で、カルマル同盟が勝利し、ハンザ同盟が衰退していったものの、クリスチャン2世は1520年のストックホルムの血浴を決行したことを発端にスウェーデンがカルマル同盟から離脱、独立し、デンマークとスウェーデンが対立していった。また、この頃、マルティン・ルターの宗教改革は北欧の地にも及んだ。ルター派のクリスチャン3世はクリスチャン2世(1523年、退位)と対立、1534年からの伯爵戦争で、クリスチャン3世はスウェーデンのグスタフ1世に支援を求めた。ハンザ同盟はクリスチャン2世を支援したものの、最終的にはクリスチャン3世側が勝利し、デンマークの支配地域はルター派となり、クリスチャン3世に反対した教会領は国庫に没収され王権が強化された。また、ハンザ同盟のバルト海支配は終焉を迎え、バルト海の覇権をめぐりスウェーデンとデンマークが対立することとなった。そしてペスト禍以降、相対的に人口、経済で劣るノルウェーは1536年にデンマークの属州となった。 デンマーク=ノルウェー時代のノルウェーでは農業が困難な地域であることから、水産業や林業、海運業といった産業が成長し、中産階級が勃興した。クリスチャン4世の三十年戦争への介入は、デンマーク政府の財政を窮乏化させた。その為、デンマーク王は国王直営地の売却を余儀なくされ、結果としてノルウェーでは自営農民が増加していった。大北方戦争やフランス革命ではデンマーク=ノルウェーは中立の立場を利用し、海運業に精を出した。 ノルウェーの経済発展が進む中で、ノルウェーは領内に銀行や大学などの設置を要求する一方、デンマーク政府は中央集権を図り、ノルウェーの富を収奪したため、両者は対立していくこととなったが、ノルウェーのデンマークからの離脱までには至らなかった。
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