デビュー - 1970年代後半とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > デビュー - 1970年代後半の意味・解説 

デビュー - 1970年代後半

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 15:58 UTC 版)

中島みゆき」の記事における「デビュー - 1970年代後半」の解説

1975年5月財団法人ヤマハ音楽振興会主催による『第9回ポピュラーソング・コンテスト』に「傷ついた翼」が入賞した9月には「アザミ嬢のララバイ」でキャニオン・レコードからレコードデビューを果たす。1975年10月の『第10回ポピュラーソング・コンテスト』に「傷ついた翼」から急遽差し替え「時代」によってグランプリ受賞し11月の『第6回世界歌謡祭』でもグランプリ受賞した「時代」12月2作目シングルとして発売。これをきっかけミュージシャンとしての実力をヤマハミュージックの川上源一見出されるその後中島川上現在に至るまで師父のように仰いでおり、中島アルバムには、今日に至るまで、スタッフ記載されクレジットに「DAD 川上源一」と記載されている。ヤマハ育ちでも、ヒットが出ると離れていくミュージシャンが多い中で、中島ヤマハそのまま自分拠点としている数少ないミュージシャンである。 1976年4月ファースト・アルバム私の声が聞こえますか』を発表その後現在まで、1年につきアルバム1枚ペースコンスタント作品発表し続けている。同年には研ナオコ提供したシングルLA-LA-LA」と「あばよ」が大ヒットソングライターとしての名を世間知らしめる同年大晦日第27回NHK紅白歌合戦』で研ナオコが「LA-LA-LA」で出場一挙に認知度広める。翌1977年には歌手としても「わかれうた」が70万枚超えるセールス記録しミュージシャンとしての地位確固たるものにした。作詞家・作曲家としても、先述研ナオコ提供したかもめはかもめ」をはじめ、桜田淳子しあわせ芝居」、増田けい子すずめ」など数多くヒット曲世に送り出し大きな成功収めた数少ない出演番組一つとして1977年から放送された『コッキーポップ』がある。その中で披露され「時代」では第6回世界歌謡祭グランプリ受賞様子インサートされ、「この空を飛べたらにおいては加藤登紀子共演している。 歌手としてのブレイク曲「わかれうた」が収録されていた1978年発表4枚目のアルバム愛していると云ってくれ』には「世情」という楽曲収められている。1981年TBS系ドラマ3年B組金八先生』の劇中使用され大きな話題呼びシングルカットされなかったにかかわらず中島初期代表曲一つとなっている。『親愛なる者へ以降1985年発表アルバムmiss M.』までの8スタジオ録音アルバム連続オリコンアルバムチャートで1位を獲得している。1977年発表アルバムあ・り・が・と・う』から1996年発表アルバムパラダイス・カフェ』までの22スタジオ収録アルバム連続で同チャート10以内獲得している。

※この「デビュー - 1970年代後半」の解説は、「中島みゆき」の解説の一部です。
「デビュー - 1970年代後半」を含む「中島みゆき」の記事については、「中島みゆき」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「デビュー - 1970年代後半」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「デビュー - 1970年代後半」の関連用語

デビュー - 1970年代後半のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



デビュー - 1970年代後半のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの中島みゆき (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS