チーム・マネージャーとしての活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/22 04:01 UTC 版)
「トム・ウォーキンショー」の記事における「チーム・マネージャーとしての活動」の解説
1975年に自らのレーシングチームとしてトム・ウォーキンショー・レーシング(TWR)を設立し、しばらくドライバー兼チームマネージャーとして活動した。 1979年のル・マン24時間レースで惨敗したマツダの大橋孝至は、充分なノウハウを持っている現地の関係者と組むことを考え、当時イギリス・サルーン・カー・レースやスパ・フランコルシャン24時間レースにマツダ・RX-7で参戦していたトム・ウォーキンショーを誘った。当時TWRは100名程の人員を持っていたという。トム・ウォーキンショーは「興味がない」として当初断ったが、大橋孝至は会うたびに共同参戦を提案し続け、結局1981年の初めに承諾した。1981年のル・マン24時間レース、1982年のル・マン24時間レースにはドライバー兼チームマネージャーとして参戦した。また、1981年のスパ・フランコルシャン24時間レースにてマツダ・RX-7をBMWとの激闘の末、日本車初の総合優勝へと導いた。 1984年にはTWRからジャガー・XJ-Sでヨーロッパツーリングカー選手権(ETCC)に参戦しシリーズチャンピオンを獲得、同年のマカオグランプリではギア・レース(ツーリングカーレース)で勝利を挙げた。ちょうどこの頃グループ44がジャガー・XJR-5でル・マン24時間レースに参戦しジャガー社内でル・マン24時間レースへの盛り上がりを見せた。当時の会長だったジョン・イーガンに呼ばれたトム・ウォーキンショーは「私に3年の猶予を下さい。必ずル・マンを制覇してみせます」と答え、TWRはジャガーワークスチームとなってグループCカーのジャガー・XJR-6を開発した。 1980年代後半になるとTWRのチーム・マネージャーとしての活動がメインとなり、XJR-9やXJR-12、XJR-14といったマシンでWSPCやその後継カテゴリーであるスポーツカー世界選手権(SWC)に参戦。1988年のル・マン24時間レースをXJR-9で制するなど多くのタイトルを獲得した。 1992年にはF1チームのベネトン・フォーミュラのエンジニアリングディレクターに招かれ、1994年には同チームに所属するミハエル・シューマッハがシリーズチャンピオンを獲得するのに貢献した。しかし同年にはベネトンが国際自動車連盟(FIA)から、当時レギュレーションで禁止されていたトラクションコントロールシステムを導入の他、いくつかのレギュレーション違反の疑いをかけられてしまう。結局この件は証拠不充分で終わったが、ウォーキンショーは同年末にベネトンを離脱した。 ちょうどその頃、当時ベネトンで一緒に仕事をしていたフラビオ・ブリアトーレがルノーエンジンの使用権欲しさにリジェを買収したことから、1995年にリジェの株式の50%を購入しブリアトーレとともにリジェの共同オーナーに就任した。ウォーキンショーは当初リジェの完全買収を狙っていたが諸事情によりそれは果たせず、代わりに1996年に完全買収が可能だったアロウズの株式を買収し、アロウズのオーナーとなった。それに伴い、不要となったリジェの株式は同年末にアラン・プロストに売却した。この間、1997年よりブリヂストンがF1へのタイヤ供給を開始するのに先立ち、タイヤテスト等を実施した際の開発協力もリジェ・アロウズ双方の立場で行なっている。 一方でスポーツカーレースでのTWRの活動も継続しており、1992年のル・マン24時間レースにはマツダ・MX-R01で、1995年のル・マン24時間レースにはポルシェ・WSC95で参戦。1997年のル・マン24時間レース、1998年のル・マン24時間レースには日産自動車(ニスモ)と組んで日産・R390でル・マンに参戦した。またオーストラリアのレースカテゴリーであるV8スーパーカーに参戦するホールデンチームの運営にも関わっていたほか、ツーリングカー分野でも1994年よりボルボと組んでBTCCに参戦、1998年には同チームから参戦したリカルド・リデルがBTCCのシリーズチャンピオンを獲得している。 しかし成績低迷の続くアロウズはスポンサー獲得に苦しむようになり、2002年には経営難に陥ってF1から撤退し、TWR自体も倒産してしまった。このため一時ウォーキンショーはモータースポーツ界から離れることになるが、2006年にはV8スーパーカーのホールデンチームの運営に復帰したほか、同年にはオーストラリアのスポーツカーメーカーである「エルフィン」(Elfin Sports Cars )を買収し、引き続きモータースポーツ界で活動を続けていた。 2010年12月12日、肺癌のため死去。64歳没。
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