チャベスの腹心として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/28 14:10 UTC 版)
「ニコラス・マドゥロ」の記事における「チャベスの腹心として」の解説
1980年代のベネズエラは原油に依存した経済構造から巨額の負債を抱えており、IMFの指導によって新自由主義的な企業中心の経済政策が推進された事で貧富の格差が拡大、経済犯罪も多発していた。MBR-200は南米の自主独立を目指した英雄シモン・ボリバルの生誕200周年に結成され、産業国有化やアメリカの影響力排除を掲げて軍や労働者に支持を広げた。勢力拡大の過程でキューバや労働組合との協力関係を生かして資金や人員を集め、マドゥーロは陸軍出身のチャベスを軍外から補佐する腹心と目される様になった。 1989年、治安と経済格差の悪化に歯止めが掛からない中、首都カラカスで発生した大暴動に対して政府軍が700名以上の国民を殺害する凄惨な事件が起こった(カラカソ(英語版))。 ベネズエラ民主行動党(英語版)から選出されていたカルロス・アンドレス・ペレス政権に国際的非難が集まり、軍の中でも不服従が広がり始めた。1992年、軍の青年将校を率いるチャベスの決起(1992年ベネズエラ軍事クーデター(英語版))が失敗に終わった際、反乱軍指揮官であるチャベスの解放を求めて反政府運動を継続した。1993年、ペレス政権は不正蓄財の容疑で退陣した。 1994年、収監されていたチャベスが釈放されるとMBR-200の再編成に取り組み、1997年にMBR-200を前身とする議会政党「第五共和国運動」(MVR)の結成に参加した。1998年、大統領選挙でのチャベス陣営勝利に尽力し、自らも同年に行われた下院選挙に出馬して当選を果たした。議会内ではまだ第五共和国運動の議員は少数与党に留まっており、新憲法制定によって制憲議会を召集することで権力を掌握する自己クーデターが計画された。 1999年、チャベスはボリバル主義に基づいた新憲法(ボリーバル憲法)の制憲議会を召集すると宣言、政府から議員の一人に指名された。制憲議会ではチャベス派の「愛国者の極」(Polo Patriótico)に所属して新憲法制定に賛成した。新憲法は国民投票でも賛成多数を得て正式に発効され、ベネズエラ・ボリバル共和国が成立した。議会制度については上院・下院から国民議会の一院制に改められた。 2000年、第1回国民議会選挙に第五共和国運動から出馬してカラカス首都選挙区で当選、2005年からは国民議会議長も兼任した。
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