チャベス時代の共産党
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/14 02:26 UTC 版)
「ベネズエラ共産党」の記事における「チャベス時代の共産党」の解説
1998年の大統領選挙では、共産党はウゴ・チャベスを支持し、1.25%(81,979)の得票を得た(チャベス陣営の得票総計は3,673,685)。2006年の大統領選挙では、共産党の得票は2.9%(342,227)だった(チャベス票の総計は7,309,080)。この結果、共産党はチャベス陣営の中で4番目に大きい政党となった。 共産党は、ベネズエラの社会主義化はゆっくりと発展する、という信念を明らかにした。チャベス政権の与党連合の中で、党は小さいが“声高”な存在である。 2007年以降、チャベス政権との関係は、共産党がチャベス大統領の新党ベネズエラ統一社会党への合同を拒否したため、緊張したこともあった。2008年7月、保守派のコロンビア大統領アルバロ・ウリベのベネズエラ訪問に際し、共産党が抗議デモを続けることを決定したため、チャベス大統領から公式に譴責を受けた。 2005年12月の制憲議会選挙では、ベネズエラ国会の代議員として次の8人の共産党候補が当選した。Roberto Hernández、Diluvina Cabello、Germán Ferrer、オスカル・フィゲラ、Edgar Lucena、Chiche Manaure、Omar Marcano、David Velásquez。 ベネズエラ共産党は、"Debate Abierto"と"Tribuna Popular"を発行している。党の青年組織として、ベネズエラ共産主義青年(Juventud Comunista de Venezuela)がある。 国際的には、日本共産党と友好関係にある。2006年には、ベネズエラ共産党書記長のオスカル・フィゲラが日本共産党第24回党大会に参加して同党の志位和夫委員長と懇談するなど、相互に交流を行なっている。
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