チャペルと公文書保管庁とは? わかりやすく解説

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チャペルと公文書保管庁

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/09 02:32 UTC 版)

聖パトリック勲章」の記事における「チャペルと公文書保管庁」の解説

騎士団チャペルは、元々はダブリン聖パトリック大聖堂であった主権者を含む騎士団各々メンバーチャペルクワイヤ席を割り当てられ主権者頭上には紋章意匠配置された。騎士の席の頭上据えられていたのはローブ覆われ装飾された兜で、その天辺にはその席の騎士クレスト(兜の天辺に付け飾り)が配され、さらにクレスト頭上にはその騎士の紋章飾り立てられ紋章旗吊るされていた。 かなり小さいが、座席後ろには真鍮製のプレートstall plate, 座席板)が取り付けられており、その席を持つ人物の名前紋章騎士団加入した日付記されている。その席の騎士が死ぬと、旗とクレスト降ろされ、その席を継ぐ人物のものに差し替えられた。1871年アイルランド国教廃止された後にチャペル使われなくなった。ただし騎士団紋章旗やその他は時の主権者であるヴィクトリア女王意向により、現在でもそのままの状態で残されている。 騎士団1881年ダブリン城グレート・ホール紋章旗ヘルムおよび忌中紋章板(hatchment plate, クワイヤ席がない場合座席版に相当するもの)が準備されるまで、公式の本部がなかった。アイルランド自由国成立した際、当時生きていた騎士の紋章旗は取り外された。1962年ホール改装されときには1922年当時騎士団員紋章旗掛かっているべきだと決められた。既存の旗は修理される新しく作り直された。今日ダブリン城で見ることができる旗は、このときのものである。 グレート・ホール騎士団との関係から聖パトリックホールと改名され、また騎士団公文書保管庁 (Chancery) として使用された。入団式、その後叙勲式は、それらが取りやめられるまでの期間聖パトリックの日にしばしばここで行われ入団式後の騎士晩餐会もこのホール執り行われた。聖パトリックホールは現在ではアイルランド大統領就任式の場となっている。 他の多くイギリス騎士団異なり座席板と忌中紋章板は団員騎士の名を連続して記していくタイプではなかった。座席板は1871年までに叙任され80人以上にのぼる騎士34のうち、わずか3枚(ほかは1940年火災焼失)が残されるのみである。その後叙任され6040枚忌中紋章板も現存している。座席板の場合連続した記録を作らなかった理由はおそらく30×36cmというプレート小ささ起因している。

※この「チャペルと公文書保管庁」の解説は、「聖パトリック勲章」の解説の一部です。
「チャペルと公文書保管庁」を含む「聖パトリック勲章」の記事については、「聖パトリック勲章」の概要を参照ください。

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