ダルマと生命段階、社会階層
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/08 08:19 UTC 版)
「ダルマ (インド発祥の宗教)」の記事における「ダルマと生命段階、社会階層」の解説
詳細は「アーシュラマ」および「プルシャールタ(英語版)」を参照 ヒンドゥー教の一部の文献は、社会としての又個人としてのダルマを略述している。この内で最も引用しているのは、権利と義務である4つのヴァルナに触れているマヌ法典である。しかしヒンドゥー教の殆どの文献は、ヴァルナ(カースト(英語版))に言及することなくダルマを論じている。他のダルマの文献やスムリティスは、ヴァルナの本質や構造に関してマヌ法典とは違っている。依然として他の文献は、まさしくヴァルナの存在を疑問視している。例えば叙事詩ではブリグ族はダルマはいかなるヴァルナも要しないという理論を示している。実際中世インドは職業を受け継ぎ族内婚をするそれぞれの社会階層と共に社会的に階層の分かれた社会であると広く信じられている。ヴァルナはヒンドゥーダルマでは絶対ではなく、解脱の探索に当たっては生命のアーシュラマ同様に個人にはヴァルナを放棄し去る権利があった。ヒンドゥー教のマヌ法典や後継のスムリティスがいまだにヴァルナダルマ(ヴァルナスのダルマということ)やヴァルナスラマダルマ(ヴァルナスとアーシュラマのダルマということ)という単語を用いない一方で、マヌ法典に関する学術的論評はこの言葉を用い、従ってダルマをインドのヴァルナ制度と関連付けている。6世紀のインドでは仏教徒の王さえ自らをヴァルナのダルマであり生命のアーシュラマである「ヴァルナスラマダルマの擁護者」と呼んだ。 個人の段階ではヒンドゥー教の一部の文献は、4つのアーシュラマ(個人のダルマとしての人生の段階)を略述している。以下の通りである。(1)ブラフマチャーリヤ(英語版)(学生期;学生として準備する生活)(2)グリハスタ(英語版)(家住期;家族などの社会的な役割を持つ世帯主の生活)(3)ヴァーナプラスタ(英語版)またはアラニャカ(林住期;世界的な職業から反省や自制に移行する森林居住者の生活)(4)サンニヤーサ(英語版)(遊行期;隠遁者や精神的要素である解脱への帰依となる全財産を与える生活)。 ヒンドゥー教によると、人生の4つの段階は、生命における人間の4つの努力を完成させる。ダルマは個人が適法で調和のとれた生命であり良き行いをし良き人になり高潔で宗教上の利益を得他人に対して有益で成功裏に社会と共に受け継ぐ努力である落ち着きと秩序の為の努力を満足させることが可能である。他の3つの努力は、食糧や住居、権力、保安、物財などのような生命の道具の為の努力であるアルタ(英語版)や性や欲求、享楽、愛、情緒的な達成感などの為の努力であるカーマ、精神的な意味合いや輪廻からの解脱、この生命における自己実現などの為の努力である解脱である。4つの段階は、ヒンドゥーダルマにおいて独立してもいないし排他的でもない。
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