ソーダ事業の起業とは? わかりやすく解説

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ソーダ事業の起業

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/30 09:30 UTC 版)

福澤駒吉」の記事における「ソーダ事業の起業」の解説

福澤駒吉1891年明治24年1月5日福澤桃介旧姓岩崎福澤家に婿入り)の長男として生まれた。母は福澤諭吉次女の房(ふさ)。当時介は北海道炭鉱鉄道経営する北海道炭礦鉄道北炭、後の北海道炭礦汽船)に勤めており、房を連れて札幌へと赴任していたが、出産にあたって東京帰ったため、駒吉東京三田の諭吉邸で生まれた駒吉生まれた後、介は実業家として成功収める介は1910年代通じて愛知県電力会社名古屋電灯経営にあたり1921年大正10年)からは木曽川開発などを手掛ける大手電力会社大同電力社長の座に就くなど、電気事業の経営実業界での活動中心であった。父に関連して駒吉電力会社関係したが、駒吉は父がほとんど関係してこなかった化学工業経営注力した。 駒吉1913年大正2年慶應義塾大学部法律科を卒業その後アメリカ合衆国遊学する帰国後、父介から、化学者山崎甚五郎研究中のビリター・ライカム (Billiter-Leykam) 式隔膜電解法による苛性ソーダ製造について事業化実現するよう指示をうける。まず駒吉山崎指導の下、名古屋市中心部にあった名古屋電灯社有地を借りて試験工場建設取り掛かり1916年大正5年4月東海曹達工業所」を設立した8月から工場操業始めると苛性ソーダ製造当初から順調で、さらし粉製造問題生じたものの改良結果好成績収めることができた。12月工業所における試験終了事業化目的介や三菱財閥岩崎久弥らの出資によって資本金100万円の東海曹達株式会社立ち上げられた。駒吉同社初代社長就任する当時25歳で、これが実業家としての第一歩となった東海曹達創業際し駒吉ソーダ製造熱中して自らソーダ製造法発明し特許を得るほどのソーダとなったという。同社では名古屋港四号地(名古屋市港区築地町)に本格的なソーダ工場建設1917年大正6年6月より製品出荷開始した戦後恐慌に際して操業効率改善のためアレン・ムーア (Allen-Moore) 式隔膜電解法導入決定し1922年大正11年完成させるその後四号地には工場拡張用地があったが、付近宅地化進みつつあったため工場移転して土地売却することに決定東海曹達株主中心として別途新会社昭和曹達株式会社1928年昭和3年12月設立された。資本金150万円で、東海曹達同様に駒吉社長に就いている。アレン・ムーア法による昭和曹達新工場名古屋港七号地港区昭和町)に建設され、翌1929年昭和4年12月操業開始至った東海曹達昭和曹達操業開始引き換え閉鎖・会社解散となる予定であったが、折から需要増加に伴い7年後1936年昭和11年)末まで設備そのまま存続した。駒吉固定資産償却重視するという経営方針によってすでに工場建設費の償却終えていたため、金を掛けずにできる限り稼働させてから閉鎖する方針となったことによる石山賢吉1936年工場訪れた際には老朽化酷く漏れた塩酸の臭いがただよう工場であったという。

※この「ソーダ事業の起業」の解説は、「福澤駒吉」の解説の一部です。
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