スピリット複写機
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/12 09:03 UTC 版)
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スピリット複写機(Spirit duplicator)は、平版印刷の一種で、アルコール複写機、液体複写機とも呼ばれる。製品の商標から北米では一般にレクソグラフ(Rexograph)やディットーマシン(Ditto machine)、英国ではバンダマシン(Banda machine)と呼ばれていた。アルコール類を溶剤に転写印刷を行うことから名付けられた印刷技法で[1][2][3]、20世紀中期に少部数向けの簡易印刷として、謄写版とともに欧米で広く用いられた。
概要
1923年、謄写器メーカー・ディットーコーポレーション(Ditto Corporation、米国・イリノイ州)のウィルヘルム・リッターフェルドが開発した印刷技法である。
北米、欧州、オーストラリアにおいて、PPC複写機が普及する1970年代にかけて、謄写版とともに学校や教会、クラブ、同人サークルなどにおける低コスト少部数の印刷用途に広く用いられた。この時期に学校生活を送った世代にとって、スピリット複写機のアルコール溶剤の匂いは学校生活の象徴ともいわれている[4]。
資器材はディットーのほか、英国ではアソシエーテッドオートメーション(英国・ロンドン市)が製造、ブロック&アンダーソン(同)が販売した「バンダ」(Banda)ブランドがもっともよく知られ、両商標はそれぞれの商圏で本技法による印刷の代名詞となった。このほか輪転謄写機メーカーであったA・B・ディック(米・イリノイ州)、ロネオ(英・ロンドン市)など欧米の複数の企業が製造販売を手がけた。
原理
マスター(原紙)は筆記および版となる第一層と、染料で着色されたワックスを塗布した第二層で構成されている。第一層に筆記を行うと、その筆圧で第二層のワックスが第一層の裏面に鏡像となって付着する。筆記終了後第一層を引きはがし、ワックスが付着した裏面が表になるようスピリット複写機の版胴に取り付ける。
スピリット複写機は版胴の手前に印刷用紙を溶剤で湿らせる芯が設けられており、内蔵または外付けのタンクから芯に溶剤が供給される。溶剤を含ませた印刷用紙を版胴に圧着させることで、マスターに付着したワックス内の染料が溶解し紙に転写される。原理上転写を繰り返すごとに徐々に色が薄くなり、印刷用紙の圧着に伴うワックスの剥落もあることから、1枚の原紙による印刷可能枚数はおおむね40枚程度で[5]、100枚を超える印刷は困難であった。
溶剤は揮発性が高く印刷用紙への影響を最小限にとどめるアルコール類が用いられた。初期はイソプロパノールとメチルアルコールの混合物で、のち1938年に電動輪転印刷機用として、トリクロロフルオロメタン、メチルアルコール、エチルアルコール、水、エチレングリコール、モノエチルエーテルを用いた非引火性で毒性の低い溶剤が開発された[6]。
ワックスの着色剤は安価で適度に耐久性があり、発色のよい紫色のアニリン染料が一般的に用いられたが、ほかに赤、緑、青、黒、オレンジ、黄色、茶色、ピンク、ミントグリーン、スカイブルーなどの各色のマスターが供給され、これらを組み合わせて切り貼りしたマスターを用いることで多色印刷もできた。ワックスの削り取りや切り貼りによる修正も容易で、一般的な文書印刷だけでなく、挿絵画家などの芸術家にも好んで用いられた。一方で日光や蛍光灯の紫外線による退色が激しく、長期間の保存に適していない難点がある。
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Banda10型スピリット複写機(イギリス・アソシエーテッドオートメーション製)
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Plentografスピリット複写機(スウェーデン・レナチュフォーシュ機械工業製)
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1978年に小学生がスピリット複写機で制作した学校新聞。校章および校名部分に別色の原紙を用い多色印刷を行っているのが分かる。
脚注
- ^ Marchessault, R. H.; Skaar, Christen (1967). Surfaces and Coatings Related to Paper and Wood: A Symposium [Held at State University College of Forestry at Syracuse University]. Syracuse University Press. pp. 357–. GGKEY:ACJZY4RYG8S
- ^ Cole, David John; Browning, Eve; Schroeder, Fred E. H. (2003). Encyclopedia of Modern Everyday Inventions. Greenwood Publishing Group. pp. 84–. ISBN 978-0-313-31345-5
- ^ Reyling, P. M. (1964). “Duplicating Techniques”. Journal of Chemical Documentation 4 (3): 144–146. doi:10.1021/c160014a005. ISSN 0021-9576.
- ^ Zorn, Eric (2007年1月16日). “That ditto high is harder and harder to duplicate”. Change of Subject column'. Chicago Tribune. 2013年10月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年9月6日閲覧。 “'[D]itto,' a word — and a smell — that snaps many of us right back to our youth.”
- ^ The Banda machine for document duplication, mid 20th century Join me in the 1900s: a social history of everyday life
- ^ U.S. 2,254,469, Bjorksten, Johan, "Nonflammable Solvent", published September 2, 1941, assigned to Ditto, Incorporated
スピリット複写機
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/22 02:39 UTC 版)
スピリット複写機(Spirit duplicator)は、2層の専用原紙を用いてアルコール類を溶剤に転写印刷を行う、ヘクトグラフの派生技法である。1923年に米国イリノイ州に本社を置く大手メーカー、ディットー社(Ditto Corporation)のウィルヘルム・リッターフェルドが開発した。 原紙は2層で構成され、第1層は筆記用、第2層は内側にワックスでコーティングされた染料の着色剤が塗布されている。第1層に筆記を行うと、その圧力で第2層のワックス層が破壊され、着色剤が露出する。筆記終了後第1層を引きはがし、第2層の着色剤側が外側になるように専用輪転印刷機の版胴に取り付ける。輪転機は版胴の手前に印刷用紙を溶剤で湿らせる芯が設けられており、湿った印刷用紙に版胴を圧着させることで、着色剤が印刷用紙の溶剤で溶解し紙に転写される。1枚の原紙から40枚程度の印刷が可能であった。 溶剤は揮発性が高く印刷用紙への影響を最小限にとどめるアルコール類が用いられた。初期はイソプロパノールとメチルアルコールの混合物で、のち1938年に電動輪転印刷機用として、トリクロロフルオロメタン、メチルアルコール、エチルアルコール、水、エチレングリコール、モノエチルエーテルを用いた非引火性で毒性の低い溶剤が開発された。原紙はアニリン染料の紫が一般的に用いられたが、ほかに赤、緑、青、黒、オレンジ、黄色、茶色、ピンク、ミントグリーン、スカイブルーなどの各色の原紙が供給され、原紙を組み合わせて版胴に取り付けることで多色印刷も可能であったことから、挿絵画家などの芸術家にも好んで用いられた。一方で印刷後の保存性に劣っており、退色が激しい特徴がある。 主に北米、欧州、オーストラリアで、ディットーのほかバンダ(Banda)、ロネオ(Roneo)を中心に多くの企業が印刷資器材を供給し、PPC複写機の普及まで、謄写版とともに学校や教会、クラブ、同人サークルなどにおける低コスト少部数の印刷・複写用途として広く普及した。印刷直後のプリントに残るアルコール溶剤の匂いを学校生活の思い出とともに懐かしむ人も多いという。 バンダ10型スピリット複写機(ダンディー大学博物館、イギリス) 1960年代のスピリット複写機。スウェーデン製の「Plentograf」。 1978年に小学生がスピリット複写機で制作した学校新聞。校章および校名部分に別色の原紙を貼り付け多色印刷を行っているのが分かる。(新聞の制作者自身がクリエイティブ・コモンズで公開したもの)
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