ストリート&スミス
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「アスタウンディング」の記事における「ストリート&スミス」の解説
ストリート&スミスにとってSFは全く新たな分野というわけではなかった。1931年には The Shadow でこのジャンルに参入して30万部を売り上げるまでに成功し、1933年3月からドック・サヴェジ誌も創刊している。同社はクレイトンで Clues の編集長を務めていたF・オーリン・トレメイン(英語版)をアスタウンディングの編集長に迎えた。同じくクレイトンから来たデズモンド・ホールが副編集長となった。というのもトレメインはアスタウンディングだけでなく Clues と Top-Notch という雑誌の編集長も務めていたためで、実務はホールが行い、内容に関する最終判断はトレメインが行うという形態となった。 ストリート&スミスによる発行は1933年10月号からだが、新編集チームの名が奥付に登場するのは1933年12月号からである。ストリート&スミスの優れた流通網により、アスタウンディング誌は1934年中ごろには推定50万部にまで成長した。当時の競合SF雑誌はワンダー・ストーリーズとアメージング・ストーリーズだが、どちらの発行部数もアスタウンディングの半分程度だった。1934年末にはSF界をリードする雑誌となっており、ページ数も160ページと最大で、1部20セントと安価だった。原稿料は買取時点で1語1セントであり、クレイトン時代よりは低かったが、他誌に比べればマシだった。 1934年、ホールは新創刊する高級雑誌 Mademoiselle の編集長になり、アスタウンディングの副編集長には R・V・ハッペルが就任した。トレメインは従来通り編集長として内容をコントロールしている。作家フランク・グルーバー(英語版)は、自伝 The Pulp Jungle (1967) でトレメインの作品選択作業について次のように言及している。 .mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}原稿が入ってくると、トレメインはそれを積み上げてある原稿の上に載せた。こっちの山は Clues 向け、そっちの山はアスタウンディング向けという風に分けてある。それぞれの雑誌の締め切り2日前、トレメインは原稿を読み始める。山の一番上から読み始め、その号に掲載する分が決まるまで読み続ける。そこで公平を期すため、トレメインは残った原稿の山をひっくり返し、翌月は前月に底にあった原稿から読み始める。 グルーバーは、原稿の山の中ほどにあるストーリーはトレメインが読むまで何カ月もかかるだろうと指摘している。結果として執筆してから掲載されるまで18カ月もかかったこともあるという。 1937年、トレメインの昇進が決まり、後任にはジョン・W・キャンベルが就任(ただし、アスタウンディングのみで Clues は別の人)。キャンベルは1930年代初めから作家として活動しており、スペースオペラはキャンベル名義、より思弁的な小説はドン・A・スチュアート名義で発表していた。1937年10月にストリート&スミスで働き始めたので、キャンベルの影響がアスタウンディング誌に現れ始めるのは1937年12月号からである。1938年3月号からキャンベルが正式に編集長となった。1938年初めには会社の体制が変更され、1938年5月1日にはトレメインがリストラされてストリート&スミスを去り、キャンベルが自由に編集できる環境が整った。 キャンベルがまず変えたことは誌名で、1938年3月号からアスタウンディング・サイエンス・フィクションに改称した。キャンベルはSF小説のより円熟した読者をターゲットとする編集方針を採用したため、アスタウンディング・ストーリーズでは内容にそぐわないと考えたのである。その後、表紙ロゴの "Astounding" を目立たなくし、Science Fiction を強調するようにしたが、1939年に同名の新雑誌が登場した。そのため "Astounding" を取り去ることはなかったが、"Science-Fiction" よりも目立たない色で印刷することが多かった。1942年には1部25セントに値上げし、判型も大きくしたが長続きしなかった。1943年には6号に渡って Astounding がかつてのように大きく表示され、1943年11月号からはSF雑誌で初めてダイジェストサイズ(英語版)の小さい判型を採用し、内容量を保持するためページ数を増やした。価格は25セントで据え置かれている。 1948年、ストリート&スミス社は同社の全ての雑誌の発行を停止したが、アスタウンディング誌のみが例外として存続している。1951年8月、1部35セントに値上げ。1950年代後半にも値上げが必要な状況が明らかとなってきた。1959年、値上げで部数が低下するかどうかを調べるため、一部地域で50セントで販売する試みがなされた。その結果部数には影響しないことがわかり、1959年11月号から値上げしている。翌年、キャンベルはついに誌名から "Astounding" を取り去ることに成功し、アナログ・サイエンス・ファクト/サイエンス・フィクションへと改称した。この改称は1960年2月号から10月号まで徐々に行われ、表紙のロゴはAがまず描かれ、stoundingが徐々にフェードアウトしていき、代わりにnalogが浮き出てくるように変化していった。
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