ストリート&スミスとは? わかりやすく解説

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ストリート&スミス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/07 17:17 UTC 版)

アスタウンディング」の記事における「ストリート&スミス」の解説

ストリート&スミスにとってSFは全く新たな分野というわけではなかった。1931年には The Shadow でこのジャンル参入して30部を売り上げるまでに成功し1933年3月からドック・サヴェジ誌も創刊している。同社クレイトンClues編集長務めていたF・オーリン・トレメイン(英語版)をアスタウンディング編集長迎えた同じくクレイトンから来たデズモンド・ホールが副編集長となったというのもトレメインアスタウンディングだけでなく CluesTop-Notch という雑誌編集長務めていたためで、実務ホールが行い、内容に関する最終判断トレメインが行うという形態となった。 ストリート&スミスによる発行1933年10月号からだが、新編チームの名が奥付登場するのは1933年12月号からである。ストリート&スミスの優れた流通網により、アスタウンディング誌は1934年中ごろには推定50部にまで成長した当時競合SF雑誌ワンダー・ストーリーズアメージング・ストーリーズだが、どちらの発行部数アスタウンディング半分程度だった。1934年末にはSF界をリードする雑誌となっており、ページ数も160ページ最大で、1部20セント安価だった原稿料買取時点で1語1セントであり、クレイトン時代より低かったが、他誌比べればマシだった。 1934年ホールは新創刊する高級雑誌 Mademoiselle編集長になり、アスタウンディング副編集長には R・V・ハッペルが就任したトレメイン従来通り編集長として内容コントロールしている。作家フランク・グルーバー(英語版)は、自伝 The Pulp Jungle (1967) でトレメイン作品選択作業について次のように言及している。 .mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}原稿入ってくると、トレメインはそれを積み上げてある原稿の上載せた。こっちの山は Clues 向け、そっちの山はアスタウンディング向けという風に分けてある。それぞれの雑誌締め切り2日前、トレメイン原稿読み始める。山の一番上から読み始め、その号に掲載する分が決まるまで読み続ける。そこで公平を期すため、トレメイン残った原稿の山をひっくり返し翌月前月に底にあった原稿から読み始める。 グルーバーは、原稿の山の中ほどにあるストーリートレメインが読むまで何カ月もかかるだろうと指摘している。結果として執筆してから掲載されるまで18カ月かかったこともあるという。 1937年トレメイン昇進決まり後任にはジョン・W・キャンベル就任(ただし、アスタウンディングのみで Clues別の人)。キャンベル1930年代初めから作家として活動しており、スペースオペラキャンベル名義、より思弁的な小説ドン・A・スチュアート名義発表していた。1937年10月にストリート&スミスで働き始めたので、キャンベル影響アスタウンディング誌に現れ始めるのは1937年12月号からである。1938年3月号からキャンベル正式に編集長となった1938年初めに会社体制変更され1938年5月1日にはトレメインリストラされてストリート&スミスを去りキャンベル自由に編集できる環境整ったキャンベルがまず変えたことは誌名で、1938年3月号からアスタウンディング・サイエンス・フィクション改称したキャンベルSF小説のより円熟した読者ターゲットとする編集方針採用したため、アスタウンディング・ストーリーズでは内容そぐわない考えたのであるその後表紙ロゴの "Astounding" を目立たなくし、Science Fiction強調するようにしたが、1939年同名の新雑誌登場した。そのため "Astounding" を取り去ることはなかったが、"Science-Fiction" よりも目立たない色で印刷することが多かった1942年には1部25セント値上げし判型大きくしたが長続きしなかった。1943年には6号渡って Astounding がかつてのように大きく表示され1943年11月号からはSF雑誌初めてダイジェストサイズ(英語版)の小さ判型採用し内容量保持するためページ数を増やした価格25セント据え置かれている。 1948年、ストリート&スミス社は同社全ての雑誌の発行停止したが、アスタウンディング誌のみが例外として存続している。1951年8月1部35セント値上げ1950年代後半にも値上げ必要な状況が明らかとなってきた。1959年値上げ部数低下するかどうか調べるため、一部地域50セント販売する試みなされたその結果部数には影響しないことがわかり、1959年11月号から値上げしている。翌年キャンベルはついに誌名から "Astounding" を取り去ることに成功し、アナログ・サイエンス・ファクト/サイエンス・フィクションへと改称した。この改称1960年2月号から10月号まで徐々に行われ表紙ロゴはAがまず描かれ、stoundingが徐々にフェードアウトしていき、代わりにnalogが浮き出てくるように変化していった。

※この「ストリート&スミス」の解説は、「アスタウンディング」の解説の一部です。
「ストリート&スミス」を含む「アスタウンディング」の記事については、「アスタウンディング」の概要を参照ください。

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