ジャーティの起源
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/06 22:40 UTC 版)
ジャーティも含めたカースト起源論には、ヴェーダ至上主義・サンスクリット典籍主義、古代家族制度起源論、先住民起源説、職業起源説、人種起源説、宗教起源説などの諸説があるが、これらは互いに排他的な意見ではなく、むしろ多分に相互補完的である。 上述のヴァルナの細分化がジャーティをもたらしたという見解にしたがえば、紀元前1500年頃のアーリア人の北インド侵入にその起源が求められる。すなわち、征服者となったアーリア人がドラヴィダ系の先住民とのあいだの混交を望まず、ヴァルナの枠組みを設け、アーリア系とドラヴィダ系との婚姻を禁じる法律を発したことが端緒となり、そののち、職業差別にもとづく区分がなされて他の階層や下位区分が生じていったというものである。そこでは、人びとの心にある区別好みと複雑化への志向がそれを促し、いくつかの技芸区分が確立し、新しい移住民の絶え間ない流入によっていっそう階級分化が進んだとされる。また、移住のほか、異民族の侵入や宗派・雑婚(ヴァルナ・サンカラ)・慣習などの複合にその原因を求める見解もある。 ジャーティをヴァルナとは別に発生したものとして、その起源を中世に求める見解もある。それによれば、ジャーティとは世襲制をともなった中世的な身分制度であり、一種の氏族制度であるゴートラなど中世社会に特有の諸要素がからみ合って生まれたものとしている。 史料の不足もあって、ジャーティ相互の分業に基礎をおく村落がいつ、どのようにして生まれていったのかは必ずしも明らかではない。そうしたなかで、4世紀から6世紀にかけてのグプタ朝の衰退以降、都市経済が衰え、地域的な自給自足化が進んだ時期に少しずつ形成されていったのではないかという見解も示されている。また、近年では、クラン(氏族組織)や古代サンスクリットにみえる「ジャナ」(部族)がジャーティに変化したことに起源を求め、それはインド社会の変容に対応したものであったという見方が示され、その過程で、食物の生産様式だけでなく摂取にかかわる規制にも変化が生まれ、それらが新たな禁忌を生んで、共食や婚姻の範囲を制限していったのではないかとする所論も展開されている。 なお、在来語としてのジャーティが、「生まれ」という原義から離れて意味内容を拡大し、浄・不浄、共食(ともに食事をすること)、通婚、職業継承の単位となって、さらにそこに多様な慣行を保持する主体としての意味づけがなされるようになったのは比較的新しく、19世紀半ばから20世紀初めにかけてであったろうとする見解がある。
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