ジャーティの変容
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/06 22:40 UTC 版)
1970年代以降の都市化、近代化、産業化の急速な進展は、職業選択の自由の拡大をもたらし、近代的な工場はさまざまなジャーティによって担われている。 固定した世襲的職業の継承というジャーティの機能のひとつは、ここでは成り立たなくなってきている。都市におけるさまざまな飲食店では、だれがつくったか分からない料理を食べることになる。共食についても、このような状況下では従来の規制を遵守することは難しい。鉄道やバスなどの公共輸送における混雑も同様で、他のジャーティとの皮膚の接触は浄・不浄観念からすれば避けるべき禁忌であったが、そうも言ってはいられない状況にある。 近代化や都市化の影響は農村にもおしよせ、ジャーティの伝統的職業に大きな影響をあたえている。 伝統的な報酬に代わり貨幣の支払いが求められるようになり、陶工たちは工場製の陶磁器やプラスチック製品の普及により職業転換をせまられ、金銀細工師に属するジャーティも村からの需要にたよっていたものが、村人が町の金銀細工師に注文するようになって自転車修理などへの転業を余儀なくされた。石鹸の普及によって、洗濯が家事のひとつとなった結果、洗濯人ジャーティは注文をほとんど失い、その多くは農業労働者となった。反対に、従来、不浄で賤しい仕事とされてきた洗濯業に至上の浄性をもつはずであったバラモンが進出した例がある。それは、ドライクリーニングの登場によってであった。技術革新が伝統的な浄・不浄観念を変えてしまった例といえる。 このように現実のインド社会では、ジャーティ集団と伝統的職業の関係はかなり稀薄になってきている。その一方で、従来の序列関係は必ずしも政治経済的な上下関係とも一致しない。南インドにおいては、反バラモン運動(Anti-Brahminism)によって、中位の集団が政治的・経済的に上昇した例があり、村落社会において不可触民のあるジャーティ集団が最大を占める村では、その不可触民ジャーティから村長が選出される例さえあった。 このような動きに対し、上述した序列競争とくに「サンスクリット化」や選挙制度の導入の結果、ジャーティによる統合がかえって強まり、各種規制(菜食、禁酒、寡婦再婚禁止など)の強化が広がるという逆行現象も生じており、複雑な様相を呈している。 独立後のインド憲法では、カースト差別を禁止し、留保制など不可触民や部落民の社会的・経済的向上を図るための特別の保護政策がとられるなど、立法と行政の力による社会改革が試みられている。ジャーティの枠組みはかつてのような機能を果たさなくなってきているが、近代的司法制度や福祉政策が社会のすみずみにまで行きわたっていない状況にあっては、村落を中心に依然根強い影響力をもち続けているのである。
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