シャックマンと内的な声
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/22 08:14 UTC 版)
Bradbyは、チャネリングによって得られた文章であり、イエス・キリストとのチャネリングによるものだとほのめかされていると述べている。教えのソースがキリストであると匂わせる箇所は本にたくさんあり、「この講座はキリストにもとを発している」と書かれている。シャックマンは、声と呼んだため誤解が広まってしまっているものの、音声はなく、外部ではなく完全に内面的な”ある種の、知っているという感覚”のもので、自動書記ではなく聞き取りの際は自分の行動に自覚的であり、内的な口述筆記のようなものだと述べている。シャックマンは内なる声による導きを書きだしただけと考えており、原作者であることを認めなかった。また、なぜこうした仕事に選ばれたのか不思議に思い、内なる声の聞き取りが生活の中心になってしまったことをしばしば悔やんでいたという。 彼女の上位自己とある種の普遍的なソースの組み合わせが源泉であると考える人もいる。講座の出版者シュディス・スカッチは、「シャックマンのエゴに発する理性的な心」にはコースを書くような能力はなく、彼女の中の「<すべて>につながっている部分」が、その時代に必要とされる形でメッセージを受け取ったのだと感じているという。シャックマンのその「部分」は「『コース』でキリストと呼ばれる、<創造主>の<心>と一体になった、わたしたちの永遠にしてスピリチュアルな<自己>」に他ならないと語っている。 心理学者のジェームズ・ファディマンは、関係者に会って作為的なものではないと感じたし、彼女の能力はこの仕事には不十分だと述べている。シャックマンは「これはどこから来たのだろう?明らかに、わたし自身はこんなものについて書きはしない。こういうテーマについて何も知らないからだ」と語っているが、エスリン研究所(英語版)の共同設立者マイケル・マーフィー (著作家)(英語版)によると、彼女の父親はスピリチュアルな本を扱う精神世界の書店を経営しており、彼女はそういった書籍に囲まれて育った。マーフィーは、コースの思想はすべてが既存のもので目新しい内容はなく、シャックマンはこうした知識を十分得ることのできる育ちであり、キリストによる教えだとは信じないが、無意識からよくこれだけのものを吐き出したものだと思う、と述べている。トランスパーソナル心理学者のケン・ウィルバーは、何らかの超常的な洞察が関係しているという見解や、シャックマンが通常の自己を超えたものから来ていると感じたことを否定するわけではないが、コースは想像以上に彼女の色が強く、彼女が影響を受けたニューソートや様々な形而上学派からの引用がうかがわれ、またシャックマンが自分と内なる声を区別しているにもかかわらず、彼女の詩はコースとほとんど違いが判らず驚かされると述べている。 シャックマンの友人であり、すでに広まりつつあった誤解を心配した彼女に頼まれ、彼女の死後、伝記を執筆したケネス・ワプニクによると、その”内的な声”は、わたしたちが認識できるこの夢のなかに形態として現れたが、その源は、わたしたちのうちにある、普遍的な、かたちも区別もない愛という真実のアイデンティティそのものである、自己のものであり(シャックマンは、非常に心理的”乖離”という現象がハッキリしているタイプだったため、日常の自分と、”声”とをハッキリ区別してとらえ、そのため、純粋な書き取りが可能になったとはいえ、外部的なソースがある、というわけではなく)、ACIMの形態や、言葉が重要なのではない(それは、ある人々を真実へと連れて行ってくれる助けとなる、という点では非常に重要ではあるが、形態自体に、意味がある、ということではない)。その、真の自己を、思い出す、という決断に対して、真の自己に対する否定の一形態にすぎなかった彼女の人生の様々なことや、真の自己を記憶から締め出すという決断の結果/象徴である、世界という、仮想現実のような映像のなかで起きたことは、真実まったくなんの影響も与えなかった、という、最終的な葛藤の解決こそが、彼女の人生がもたらした、実は同じ”真の自己対偽りの自己”、という存在論的なアイデンティティにおける葛藤をもつ、わたしたち全てに対する、贈り物となるのだろう。と述べている。
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