シメオンの回心と牧師招聘
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「チャールズ・シメオン」の記事における「シメオンの回心と牧師招聘」の解説
シメオンはイートン・カレッジ(高校)を卒業し、ケンブリッジ大学に入学した。20歳だったシメオンは非常に高慢で、服装にこだわった。趣味は乗馬、ダンス、飲酒だったが、キリスト教には無関心だったという。しかし、ケンブリッジ大を卒業するためには、聖餐式に3回出席しなければならないという規則があることを知らされたとき、シメオンの反応は次のようだった。 「何だって? 私は言った。私が聖餐式に出なきゃならないだって? それを知らされたとき、すぐ頭に浮かんだことは、私が聖餐式に出るくらいなら、サタンだって、同じくらいそれにふさわしいだろう、ということと、もし出なきゃならないなら、そのための準備が必要だ、ということだった。時を移さずして私は早速、耳にしたことのある唯一の宗教書…を買い求め、非常に熱心に読み始めた。あまりに真剣に読み、断食し、祈ったため、3週間も経たないうちに、私はすっかり体調を崩してしまった。…そのときの苦悩は約3か月続いたが、実のところ、私の罪は頭の髪の毛よりも、海辺の砂よりも多かったため、本当は何年も苦しんで然るべきだったのだ。しかし、終わりのない底なしの自責の念が、ついには私に微笑みかけ、彼が私を受け入れて下さるという希望を与え始めた。…イースターの週、私は聖餐式についての本を読んでいたが、その時、ユダヤ人達はいけにえの動物の頭に手を置き自分の罪をそれらに移した時、それが一体どういうことなのかを知っていた、というくだりを読んだ。そのとたん、ある考えが頭にひらめいた。私は私のすべての罪を何に移せば良いのだろう? 私が、その頭に手を置き、自分の罪を移すことのできるいけにえを、神は備えてくれているのだろうか? もしそれが神の御心だとしたら、私の魂は、これ以上一瞬たりとも罪を負い続けることはないのだ。かくして、私はイエスの聖なる頭の上に私の罪を置くことを求め、憐みを受ける希望を持ち始めた。それは水曜日のことだった。木曜日、その希望は増し加わり、金曜日と土曜日にさらに強くなった。そして日曜日の朝早く、私は心と唇でこう告げながら目を覚ました。イエス・キリストは今日よみがえられた! ハレルヤ! ハレルヤ! そのときから、私の魂の中に豊かな平安があふれ、聖堂の主の食卓についたとき、私は、私の祝福された救い主を通して、神と最も親しい交わりを持ったのだった。」 シメオンは、その回心から3年間、他のクリスチャンと会わなかった。メソジストのリバイバルの影響はまだ強かったが、大学などの権力社会に福音派のキリスト者は少なかった。シメオンがケンブリッジ大に入学する数年前には、オックスフォード大学の学生が日曜日に祈りと交わりの会を始めたという理由で退学になっている。シメオンは新聞に以下のような投稿文を載せようと考えるほど、すっかり途方に暮れてしまっていたようだ。 「自分がどうしようもない罪人だと感じ、主イエス・キリストのみに救いを求め、その救い主を人々に伝えるためにのみ生きたいと願っている若い牧師がいます。彼は、その点で自分と同じ意見と熱意を抱く人々がこの世には他にもいるはずだと考えずにはおれないのです。そのような人を一人も見つけられずに3年が経っていましたが、もし、そのような牧師がいたならば、彼は喜んでその副牧師となり、無報酬でその人に仕えることでしょう。」 1782年、シメオンはケンブリッジ市の中心部にあるホーリー・トリニティ教会(英語版)の牧師になった。その教会は大学にも、市民にも福音を伝える格好の拠点である。シメオンは学生時代、よくその会堂の前を通り、こう考えていたのだという。 「もし神様が私にあの教会を与えて下さったなら、どんなに嬉しいことだろう。あの教会で福音説教を語り、大学でも神様のみことばを伝える者となることができる。」
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