ザ・ランチャーズ
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ザ・ランチャーズ | |
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出身地 | ![]() |
ジャンル | グループ・サウンズ |
活動期間 | 1962年 - 1971年 |
レーベル | 東芝音楽工業 |
メンバー | 喜多嶋修(ヴォーカル、ギター) 大矢茂(ギター) 渡辺有三(ベース) 河手政次(ドラムス) |
旧メンバー | 加山雄三(ヴォーカル、ギター) 二瓶正也(ドラムス) 津田彰(ギター) 佐竹弘行(ベース) 三木敏彦(ピアノ) 速水洸(スチール・ギター) 喜多嶋瑛(ドラムス) |
ザ・ランチャーズ(The Launchers[独自研究?])は、日本のグループ・サウンズのバンド。1962年に結成され[1]、1967年11月[いつ?]にシングル「真冬の帰り道」でデビュー。1971年に解散。
メンバー
- 喜多嶋瑛(1947年7月1日 - 、ドラムス)
- 喜多嶋修(1949年2月3日 - 、ギター)
- 大矢茂(1949年2月22日 - 、ギター)
- 渡辺有三(1949年3月30日 - 2014年1月2日、ベース)
- 河手政次(1947年 - 2003年1月16日 、ドラムス、元ザ・ホワイト・キックスのドラマー、のち[いつ?]に和太鼓奏者)
概要
加山雄三主演の映画「若大将シリーズ」(1961年 - 1971年)が始まったころ、同作品のプロデューサーの藤本真澄が加山に「会社の人間で演奏できるやつを集めてバンドをやれ。映画でも使うぞ」と指示して、加山がメンバーをかき集めて1962年に結成した[1]。「進水する」という意味でザ・ランチャーズと名付けられる[誰によって?]。第一期(結成当初)のメンバーは、加山雄三、二瓶正也、津田彰、佐竹弘行、三木敏彦、速水洸の6人。東宝の俳優らを中心メンバーにして活動開始したが、それぞれの本業が忙しくなり活動が困難になったため、一旦活動を停止する[いつ?]。
1964年、加山雄三は従弟の喜多嶋瑛、喜多嶋修の兄弟と、大矢茂の4人で、第二期ザ・ランチャーズを再結成した[いつ?]。
1965年、7月から8月にかけて、アメリカ合衆国のバンド、ザ・ベンチャーズとテレビ番組で共演し[どれ?]、永年に渡る彼らとの交友関係のきっかけとなった。
1966年、高校生であった喜多嶋修と大矢茂に芸能活動の制限が掛かり[いつ?]、サポートメンバーとしてサイド:堤光生、ベース:岩崎道夫が参加、映画『歌う若大将』に映像として残っている。同年3月には、来日中のザ・ベンチャーズより直接ギター演奏の指導を受ける機会があり[誰によって?]、その時の模様は堤光生によって録音されていた。
1967年、喜多嶋瑛、喜多嶋修、大矢茂、渡辺有三の4人で第三期ザ・ランチャーズとなり、同年11月[いつ?]に東芝音楽工業よりシングル「真冬の帰り道」でデビュー。
1969年、10月、ドラムスが喜多嶋瑛から河手政次に交代。
1971年、春[いつ?]に解散した。
解散後
1994年、7月、ザ・ランチャーズの名を冠する「加山雄三&ハイパーランチャーズ」が結成された。
ディスコグラフィー
シングル
- 真冬の帰り道/北国のチャペル(1967年11月[いつ?])
- 教えておくれ/愛のささやき(1968年3月[いつ?])
- シリウスの涙/想い出のジュリエット(1968年6月[いつ?])
- 不機嫌な水溜り/HELLO! BABY MY LOVE(1968年12月[いつ?])
- 砂のお城/雲を追いかけて(1969年6月[いつ?])
- マドレーヌ/昔も現代も真実はこれにつきる(1970年3月[いつ?])
アルバム
- フリー・アソシエイション(1968年12月[いつ?])
- OASY王国(1969年9月[いつ?])
出演映画
出典
固有名詞の分類
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