コンドル作戦とは? わかりやすく解説

コンドル作戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/11 09:50 UTC 版)

コンドル作戦(コンドルさくせん、Operation Condor)は、冷戦時代に南米親米反共独裁政権が組織的に行った暗殺虐殺などのテロリズム活動である。特に1975年に正式に始まって1989年まで続いた共同作戦を指す[1]アメリカ合衆国政府とCIAは様々な支援を作戦に行った[2]


  1. ^ a b Condor legacy haunts South America”. BBC (2005年6月8日). 2019年2月19日閲覧。
  2. ^ Greg Grandin (2011). The Last Colonial Massacre: Latin America in the Cold War. University of Chicago Press. p. 75. ISBN 9780226306902.
  3. ^ Klein, Naomi (2007). The Shock Doctrine. New York: Picador. p. 126. ISBN 978-0-312-42799-3.
  4. ^ Blakeley, Ruth (2009). State Terrorism and Neoliberalism: The North in the South. Routledge. p. 22 & 23. ISBN 978-0415686174.
  5. ^ Stanley, Ruth (2006). "Predatory States. Operation Condor and Covert War in Latin America/When States Kill. Latin America, the U.S., and Technologies of Terror". Journal of Third World Studies.
  6. ^ McSherry, J. Patrice (2011). "Chapter 5: "Industrial repression" and Operation Condor in Latin America". In Esparza, Marcia; Henry R. Huttenbach; Daniel Feierstein (eds.). State Violence and Genocide in Latin America: The Cold War Years (Critical Terrorism Studies). Routledge. p. 108. ISBN 978-0415664578.
  7. ^ Goñi, Uki (16 April 2019). "European spies sought lessons from dictators' brutal 'Operation Condor'". The Guardian.
  8. ^ Goñi, Uki (9 August 2016). "Kissinger hindered US effort to end mass killings in Argentina, according to files". The Guardian. ISSN 0261-3077.
  9. ^ Latin America in the 1970s: "Operation Condor, an International Organization for Kidnapping Opponents", L'Humanité, 2 December 2006
  10. ^ "Cable Ties Kissinger to Chile Scandal". Associated Press. 10 April 2010.
  11. ^ "OPERATION CONDOR ON TRIAL: LEGAL PROCEEDINGS ON LATIN AMERICAN RENDITION AND ASSASSINATION PROGRAM OPEN IN BUENOS AIRES". nsarchive.gwu.edu. Retrieved 11 April 2017.
  12. ^ “Where Gerald Ford Went Wrong”. The Baltimore Chronicle. (2007年). http://baltimorechronicle.com/2007/010207Parry.shtml 
  13. ^ “FIFA's Dirty Wars”. The New Republic. (2017年12月15日). https://newrepublic.com/article/146303/fifas-dirty-wars 
  14. ^ “Quand Pinochet tuait hors du Chili”. L'Express. (1999年10月30日). https://www.lexpress.fr/actualite/monde/amerique-sud/quand-pinochet-tuait-hors-du-chili_491779.html 
  15. ^ Editoriales – Operacion Condor” (Spanish). El Universal (2006年4月10日). 2007年6月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年3月24日閲覧。
  16. ^ Larry Rohter (January 24, 2014). Exposing the Legacy of Operation Condor. The New York Times.


「コンドル作戦」の続きの解説一覧

コンドル作戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/10/04 13:44 UTC 版)

マヌエル・コントレラス」の記事における「コンドル作戦」の解説

詳細は「コンドル作戦」を参照 機密解除されたCIA資料によればコントレラス1975年ラングレーCIA本部招かれアメリカ15日滞在したとされており、彼の名はその後にコンドル作戦の発案者として記録されている。 コントレラス1974年から1977年までCIA情報提供者1人とされており、1975年には実際にコントレラス対す給与支払われている。同年報告書ではコントレラスピノチェト政権における人権政策改善への障害だとされていたが、一方でCIAには諜報上の協力関係維持する旨が命じられていた。 1976年9月21日、元駐米チリ大使オルランド・レテリエル彼の部下米国人女性ロニー・モフィット(スペイン語版)がワシントンD.C.にて暗殺された(レテリエル暗殺事件英語版))。レテリエルはサルバドール・アジェンデ政権時代外務大臣務めた事がある人物で、この事件DINAコントレラス関与している事が判明するCIA内でも彼に責任を問うべきとの声が大きくなった。CIAではこの事件に関する詳細な報告書作成している。これによればCIA局員マイケル・タウンリー(英語版)が協力していたとされるが、報告書一部未だ機密指定解除されていない1974年の前陸軍総司令カルロス・プラッツ(スペイン語版)とその夫人殺害についてもコントレラスDINA関与しており、これについても後に起訴を受けることになる。 やがてコントレラスCIAよりコンドル作戦をコーノ・スール方面まで拡大せよとの指令を受け、莫大な活動資金与えられる1976年、彼はイラン向かい国際テロリストカルロス・ザ・ジャッカルことイリイチ・ラミレス・サンチェス接触して資金援助行っている。テヘランチリ大使館残され指紋足跡などの痕跡から、この際ナチス・ドイツからの亡命者であるパウル・シェーファーゲルハルト・メルティンズドイツ語版)、3名のチリ軍高級将校、1名のブラジル人将官連れていたと推測されている。

※この「コンドル作戦」の解説は、「マヌエル・コントレラス」の解説の一部です。
「コンドル作戦」を含む「マヌエル・コントレラス」の記事については、「マヌエル・コントレラス」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「コンドル作戦」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「コンドル作戦」の関連用語

コンドル作戦のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



コンドル作戦のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのコンドル作戦 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのマヌエル・コントレラス (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS