国際連合大使と中央情報長官
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/23 10:58 UTC 版)
「ジョージ・H・W・ブッシュ」の記事における「国際連合大使と中央情報長官」の解説
ブッシュは1970年代を通して、リチャード・ニクソンおよびジェラルド・フォードの2人の共和党の大統領の下で共和党全国委員会委員長・国際連合大使・中華人民共和国への特命全権公使(米中連絡事務所所長)・危機委員会評議員などの要職を歴任した。当初、大統領であるフォードはブッシュを副大統領候補に検討していたが、ブッシュの選挙キャンペーンにニクソンの秘密資金が流入していた疑惑を特別検察官が捜査していた為にネルソン・ロックフェラーを選択したとされる。 リチャード・ニクソン政権で国際連合大使として中華人民共和国の国際連合加盟を認めたアルバニア決議やそれに伴う次期国際連合事務総長の選出をめぐるアメリカ合衆国とソビエト連邦と中華人民共和国の三つ巴の駆け引きへの対応に追われ、米中連絡事務所所長となった際は訪中した当時の大統領フォードに同行して最高指導者の毛沢東とも2度会見した。事実上の特命全権公使として中国で過ごした経験は世界の問題に対するアメリカの強い関与の必要性をブッシュに確信させたとされる。 1年間と短い期間ではあったが、中央情報長官(CIA長官)(1976年1月30日 – 1977年1月20日)も務め、中国への赴任直後であった為驚きを持って受け取られた。CIA長官就任後最初に直面した問題は、アンゴラの共産化を防ぐことであった。しかし、1975年11月当時はソビエト連邦とキューバの大規模な支援を受けてアンゴラ人民共和国を建国したアンゴラ解放人民運動(MPLA)が軍事的に優勢だった。ベトナム戦争で他国への介入に否定的となっていたアメリカ議会は中国とザイールに支援されたアンゴラ民族解放戦線 (FNLA)に対する欧米の援助を問題視し、1976年にクラーク修正法(英語版)でアンゴラの反政府組織への援助を禁止した。しかし、ブッシュCIA長官はこれを拒否し、イギリス陸軍特殊空挺部隊(SAS)の元隊員で構成される傭兵部隊を使ってアンゴラの対ソ秘密作戦を展開した。この秘密作戦は一定の成功を収め、アンゴラ内戦は泥沼化した。同年にはエジプトやサウジアラビアなどによるアフリカの反共反ソ同盟サファリ・クラブ(英語版)の結成を国際商業信用銀行(BCCI)を通じて支援した。また、ラテンアメリカの親米軍事独裁政権によるコンドル作戦も支援したとされる
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