国際連合加盟への影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/28 10:13 UTC 版)
「第二次世界大戦期アイルランドの局外中立」の記事における「国際連合加盟への影響」の解説
中立政策の結果、アイルランドの国際連合加盟の時期は相当ずれ込んだ。安全保障理事会の常任理事国であるソビエト連邦は、アイルランドの加盟申請に対して、1946年から1955年12月まで拒否権を行使し続けた。1942年から1945年にかけて使われた「国際連合」という言葉は、常に第二次世界大戦の連合国を指していた。1946年、アイルランドは国際連盟の解散を受けて、国際連合への加盟を申請していたが、国際連盟最後の事務総長はアイルランドの外交官であるショーン・レスターであった。 1955年3月、リーアム・コスグレイヴ(英語版)外相は「安全保障理事会で反対意見に阻まれているが、アイルランドは国連加盟申請を継続する」と発表している。アイルランド政府は外交上の理由から、異議の理由やどの国が異議を唱えたかについても言及しなかった。 ショーン・マクブライドはアイルランドの国連加盟拒否は、1945年のヤルタ会談でチャーチルとスターリンの間で初めて合意されたと見ている。 1955年12月15日、ジョン・A・コステロ首相はアイルランドが国際連合に加盟した事を発表した。
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