コミンテルンでの活動とは? わかりやすく解説

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コミンテルンでの活動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 15:29 UTC 版)

ヘンドリクス・スネーフリート」の記事における「コミンテルンでの活動」の解説

オランダに帰国後、ホラント共産党の指導者はオランダ領東インドにおけるスネーフリートの活動方法批判し、スネーフリートは少し疎外されていた。その後、スネーフリートは労働組合運動努め1920年鉄道ストライキ組織するのを助けた同年には東インド共産党代表としてモスクワコミンテルン第2回会議にも出席した東インド共産党は、東インド社会民主主義同盟(ISDV)の後身組織である。 ウラジーミル・レーニン彼に強い印象を受け、彼をコミンテルン代表として中国派遣した。彼は中国共産党組織化するのに貢献した1921年7月にスネーフリートはロシア共産党ウラジーミル・ネイマンと共に上海開催され中国共産党第一回大会出席した。この日を中国共産党は、公式な中国共産党創立日としている。 スネーフリートは1921年12月広西省桂林訪れていた孫文会い中国国民党ソビエト政権連携について意見交換し、さらに中国国民党中国共産党協力関係を築くことを提案した。彼は1922年4月上旬には上海移動し陳独秀中国共産党員に接触し共産党員国民党加入する方式協力関係構築提案した。陳らはこの提案強く反発した中国共産党掲げマルクス主義中国国民党掲げ三民主義の間には革命階級闘争への考え方根本的な食い違いがあり、たとえ協力関係築いたとしても労働運動農民運動主体とした共産党自由な活動大きく制限されることを恐れたのである1922年4月下旬にスネーフリートはモスクワ行きコミンテルン中央執行委員会国共合作承認求め同年7月末に承認を得る。8月にスネーフリートは上海戻り陳独秀中国共産党幹部に対して共産党員国民党加入する方式国共合作承認するよう迫ったコミンテルン決定対し中国共産党反対することは中央集権的なボリシェヴィズム観点からも考えられず、陳ら共産党員渋々承認した。しかし共産党員達には強い反発残った1922年8月25日スネーフリートは上海逃れていた孫文会談しソビエト政権から中国国民党への軍事援助約束されたその後まもなくして陳独秀孫文訪ね中国国民党組織改革条件として、自らの国民党へ加入提案した孫文了承し陳独秀李大釗らが中国国民党加入したしかしながら、スネーフリートの中国滞在中に一般共産党員による国民党へ加入実現しなかった。 スネーフリートが中国去った後、コミンテルンミハイル・ボロディン派遣したボロディン中国国民党政治顧問となり、党規約政治綱領改定組織機構改革に関して孫文助言行った孫文前記の諸改革実行し国共合作実現への条件整えた1924年1月20日中国国民党第一次全国代表大会開催され大会宣言が発せられた。中国共産党正史ではこの日を国共合作開始された日と位置づけている。 スネーフリートに対し当時中国共産党良い印象を持たなかった。中国国民党孫文個人的に接触して中国共産党との協力主張したためといわれている。スネーフリートにはこの策は合理的なように見えたが、結局は上手くいかず失敗に終わることとなる。1925年3月孫文死去し1926年3月中山艦事件起こり中国共産党員に対す弾圧始まった1926年7月蔣介石中国国民党党首となったスターリン派トロツキー派中国革命方針を巡る対立結果スターリン主流派主張優勢となり、蔣介石による共産党員への弾圧対しソビエト政権暗黙の了解が行われた。 1927年8月江西省南昌中国共産党による中国国民党対す武装闘争開始された。以後中国共産党中国国民党武装闘争が続くこととなる。

※この「コミンテルンでの活動」の解説は、「ヘンドリクス・スネーフリート」の解説の一部です。
「コミンテルンでの活動」を含む「ヘンドリクス・スネーフリート」の記事については、「ヘンドリクス・スネーフリート」の概要を参照ください。

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