ゲーム業界へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 02:58 UTC 版)
ある時、さくまと堀井が土居孝幸の家を訪れて話をする機会があった。その中で「(『ドラゴンクエスト』のラストボスの)竜王を倒すのが桃太郎っぽいよね」「ゲームの村も金太郎の村、浦島の村としたらわかりやすいよね」などと話が弾み、堀井から「ゲームは儲かるよ。出版社をしていたときの多額の借金も返せるよ。」との話を聞く。当時堀井が制作していた『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』の当初の発売予定が1987年12月だったことから、さくまは、それより前に発売すればそこそこ遊んで貰えるかもという思惑を抱き、ゲーム制作を志すことになる。 身内のスタッフを「蟹を食べよう」という口実で誘うため、当時札幌市に本社があったハドソンを制作元に選んだ。ゲームのシナリオは原稿用紙4000枚分に及び、かつてさくまの会社に勤めていたショッカーO野が手書きの原稿をワープロで打ち直した。3ヶ月の制作期間を経て1987年10月26日にファミリーコンピュータ用ゲームソフト『桃太郎伝説』が発売。もしも売れなければ『ジャンプ放送局』の中でギャグにするつもりだった、とさくまは語っていたが、思いがけず100万本以上のヒットを記録したため、以降シリーズ化される事となる。制作の際には、堀井がテストプレイに参加していた。
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ゲーム業界へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 14:42 UTC 版)
1996年に大学を卒業した頃は、ゲーム業界への注目が集まっており、ゲーム音楽家が人気を集めていた時代だった。坂本は当時人気だった古代や下村陽子らに倣ってゲームメーカーに入社しようとして失敗し、代わりに音楽制作会社に入社した。しかし、音楽制作の仕事はあったものの、雑用ばかりだったため、1年ほどで退社し、フリーランスとして活動することにした。 同時期に、坂本は作曲家としての活動の傍らで、古本屋でのアルバイトを並行しており、店長代理としての経験を通じて経営の知識を学んだと馬波とのインタビューの中で振り返っている。その後、坂本はゲーム開発の知識を得るべく、ゲーム開発会社へアルバイトとして6年間働き、企画やシナリオを手掛ける傍ら、音楽や効果音を担当していた。 26歳の時、PS用ソフト『Juggernaut 戦慄の扉』にて作曲家としてデビューする。坂本はこの作品が転機になったとインサイドとのインタビューの中で話しており、「坂本氏:当時は音声データをWAVやCDメディアで納品できなかったので、DATで納品していたんです。それでゲームでも簡単に音がでるのかと思っていたら、「それじゃ困る」と言われてしまいました。そこで初めてゲームにはゲームの音の鳴らしかたがあると知って、同業者の先輩に[中略]根掘り葉掘り聞いて制作していって。[後略]」と振り返っている。 30歳を過ぎたころ、坂本は音楽で食べることを決意し、一人企業だったノイジークロークの法人化に踏み切る。
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