ケ号作戦
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「白雪 (吹雪型駆逐艦)」の記事における「ケ号作戦」の解説
1943年(昭和18年)1月17日、白雪は輸送船4隻(大井丸、乾坤丸、旭盛丸、はばな丸)のB船団を護衛してトラック泊地を出発、速力9ノットでショートランド泊地を目指した。航海中の1月20日附で川内、白雪は南東方面部隊に編入される。21日夕刻、ブーゲンビル島ショートランド泊地近海でB-17重爆6機の空襲を受けた乾坤丸が大破炎上し(戦死62、行方不明29)、自沈処理された。白雪は残3隻を護衛して目的地にたどり着いた。ブーゲンビル島への輸送作戦では、参加輸送船11隻(B船団含む)のうち、乾坤丸以下4隻が沈没、A船団掩護のため出撃した秋月型駆逐艦の秋月が大破(第十戦隊司令官木村進少将負傷)という被害を出している。 1月24日、第三水雷戦隊司令官橋本信太郎少将は川内、白雪をひきいてラバウルに到着、翌日には第八艦隊司令部・第三水雷戦隊司令部・第十戦隊司令部が合同してガダルカナル島撤退作戦の打ち合わせを行った。26日、三水戦司令官は増援部隊指揮官を引き継ぎ、白雪に乗艦してショートランド泊地へ移動、夕雲型駆逐艦巻波に将旗を掲げた。川内はカビエンに回航され、重巡2隻(鳥海、熊野)と共に待機する。ショートランド泊地では、駆逐艦輸送が失敗した場合の予備手段として大発動艇部隊による撤収作戦の準備が行われた。第16駆逐隊司令荘司喜一郎大佐(司令駆逐艦「時津風」)指揮下の駆逐艦6隻(警戒隊《時津風、白雪、黒潮》、輸送隊《浦風、浜風、江風》)で作戦を実施、アメリカ軍機の空襲を排除して作戦は無事に成功した。 詳細は「ケ号作戦」を参照 2月上旬、白雪はガダルカナル島撤収作戦(ケ号作戦)に参加した。第一次撤収作戦は警戒隊(巻波、親潮、舞風、江風、白雪、文月、皐月、長月)と輸送隊(風雲、巻雲、夕雲、秋雲、浦風、磯風、浜風、谷風、時津風、雪風、大潮、荒潮)という区分で、2月1日9時30分にショートランド泊地を出撃、エスペランス岬とカミンボへ向かった。だがアメリカ軍機の空襲で旗艦巻波が航行不能となり、同艦は文月に曳航されて引き返した。三水戦司令官は白雪に移乗して撤収部隊をおいかけ、その間の指揮は第十戦隊司令官がとっている。ガ島では夕雲型駆逐艦巻雲が触雷して航行不能となり、夕雲に処分されている。それ以上の被害はなく、第一次撤収作戦は成功裡に終わった。 第二次撤収作戦は、沈没損傷艦(巻雲、巻波)の代替として駆逐艦2隻(朝雲、五月雨)を編入し、それ以外は第一次撤収作戦と同じ艦で実施することになった。2月4日9時30分にショートランド泊地を出撃するが、往路の空襲で舞風が航行不能となり、長月に曳航されて避退した。さらに白雪は機関故障を起こしたため、増援部隊指揮官は江風に旗艦を変更する。白雪はショートランド泊地に引き返し、江風は第二次撤収部隊をおいかけてガ島へ向かった。駆逐艦3隻(舞風、長月、白雪)の離脱という事態があったものの、第二次撤収作戦も成功裡に終わった。 2月7日の第三次ケ号作戦(第一連隊《白雪、黒潮、朝雲、五月雨、時津風、皐月、文月、大潮、荒潮》、第二連隊《風雲、夕雲、秋雲、長月、谷風、浦風、浜風、磯風》)では、当初第8駆逐隊(大潮、荒潮)は加わっておらず、海軍と日本陸軍の折衝によって参加が決まったという。2月7日9時10分にショートランド泊地を出撃、往路の空襲で磯風が大破した。長月が曳航しようとしたが自力航行可能となったため、長月は撤収部隊に復帰、対潜哨戒任務中の江風がかけつけ磯風を護衛してショートランド泊地へ避退した。白雪指揮下の撤収部隊はガ島に到着、第三次撤収作戦も成功のうちに終わった。
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