ケネディ兄弟への通報
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 09:11 UTC 版)
「ケネディ大統領暗殺事件」の記事における「ケネディ兄弟への通報」の解説
司法長官であった実弟のロバート・ケネディは自宅で、FBIのフーバー長官 からの電話で、狙撃の第一報を知らされた。フーバー長官のもとへ第一報が入ったのは、病院からの報告より早くFBIダラス支局からのもので、長官はすぐにワシントン郊外のヒッコリーヒルのロバートのもとへ電話した。最初に出たエセル夫人からロバートにフーバーからの電話と知った時、それがFBI長官からの初めての電話であったのですぐに重要な話であることを感じたが、フーバーの口調はかなり事務的な雰囲気でそれほど興奮したものでなかった、と後にロバートは苦々しく回想している。その直後にパークランド記念病院に電話して、警護官のクリント・ヒルを呼び出している。この時に「クリント、そっちで何があった?」「重傷とはどういうことだ?どれくらい悪いんだ?」と聞いてクリント・ヒルは「最悪です」と答えている。 ロバート・ケネディはこの直後にジョン・マコーンCIA長官に電話してすぐ来るように要請し、暗殺のショックがさめやらぬ時に来訪したCIA長官に対して、「CIAが兄を殺したのか?」と詰問し、マコーンは即座に暗殺には無関係だと否定している。2年前の第1次キューバ危機からケネディとCIAの関係は冷え込んでいたのである。この暗殺事件直後に、CIA内部では世界中のCIA支局に打電して暗殺事件に関するどんな些細な情報も含めて情報収集に取りかかっていった。そしてすぐにオズワルドと名乗る男が10月1日にメキシコシティのソ連大使館に電話して申請した旅行ビザについて尋ねていたことを記録したファイルが見つかった。オズワルドが逮捕されたという報道が流れてわずか2分後のことであった。そしてこの日の深夜に興奮状態が続く中で会議が延々6時間続き、「オズワルドがメキシコのソ連大使館を訪ねていたことをCIAは前もって知っていた」ことを聞かされたマコーン長官は激怒した。そしてCIA内部の事件調査はこの後に混乱と猜疑のために挫折して、今日に至るまで消えない疑念の影を残すことになったのである。 エドワード・ケネディはこの日、上院本会議の議長席にいて、13時42分(東部標準時・ダラス時刻12時42分)に通信社からの至急電を持った議会スタッフのリチャード・リーデルより伝えられた。すぐに休会が宣言されてマンスフィールド 民主党院内総務の提案で議会付きの牧師を呼んで祈りを捧げ「…彼の命脈が未だ尽きざらんことを」で言葉を結んだ。この日の審議がなぜ中断されたのか議会議事録には何も記録されていない。 ホワイトハウスに大統領の死が伝えられたのは、終油の秘蹟を行った時にロイ・ケラーマンからクリント・ヒルに大統領が亡くなったことが伝えられ、その時にちょうどクリント・ヒルがホワイトハウスの大統領付き警護官ジェリー・ベーンと電話中で、ベーンが「どうしたクリント。今ケラーマンは何と言ったんだ?」と電話の向こうで聴いていて、クリントが「大統領が亡くなりました。ジェリー」と伝えたのが最初であった。ほぼ14時(ダラス時刻13時)前後であった。ベーンはこの直後に大統領警護官として、6名の部下に命じて国会議事堂に向かわせ、シークレットサービスの面々は下院議長室に馳せ参じた。ジョン・W・マコーマックの警護であった。大統領が死去して副大統領の昇格後に大統領継承の第1位に繰り上がるのは下院議長であった。テキサス州でもリンドン・ジョンソンの長女ルーシーを自宅に隔離し、オースチンでも次女リンダを大学キャンパスで確保した。この二人はこの時点で大統領令嬢であった。
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