グリーンハウスの保存運動
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「グリーンハウス (藤沢市)」の記事における「グリーンハウスの保存運動」の解説
1972年(昭和47年)、グリーンハウスで戦前のゴルフ場時代に行われたゴルフ大会優勝者の優勝者名を刻した大理石板が発見された。大理石板はかつてグリーンハウス内に掲示されていたものが、改修時に外されたものであると考えられた。このことをきっかけに地域住民や神奈川県立体育センターは、グリーンハウスや藤沢カントリー倶楽部の歴史について改めて見直し、資料を集めだすようになった。1980年代に入るとグリーンハウスに老朽化が目立つようになり、地元から貴重な歴史的建造物であるグリーンハウスの保存を求める声があがるようになった。 1988年(昭和63年)1月、グリーンハウス地元の善行住民から神長川県知事と県議会議長宛てに、グリーンハウスの保存を求める陳情書が提出された。この時は10年後に神奈川県下で2回目となる国民体育大会の開催が予定されており、県下の体育施設の見直しが進められる予定となっているので、それまでの間にグリーンハウスを取り壊すことはしないとの回答があった。1994年(平成6年)7月には地域移住民から藤沢市長に対して、グリーンハウスの保存について神奈川県に働きかけるよう求める要望が出された、これに対して葉山峻藤沢市長は協力を約束したが、神奈川県側からはグリーンハウスの保存について否定的な意見が多いとの回答がなされた。 1996年6月、藤沢の新市長に山本捷雄が就任したことに伴い、地元住民から改めてグリーンハウスの保存を求める要望書が提出された。この時までに1998年(平成10年)開催予定の第53回国民体育大会に際して行われる各種体育施設の整備計画が当初計画よりも縮小されたため、国体開催に向けてグリーンハウスの取り壊しは行われないことが決まっていた。藤沢市は要望書を提出した地元住民に対して、神奈川県としてはグリーンハウスよりも優先的に保護すべきものがあるとの見解であるが、取り扱い方針はまだ決まっていないと藤沢市側に伝えられたこと、またグリーンハウスの現状保存には約5億円、移築保存の場合には約10億の費用を要する見込みであり、県が取り壊しの方針を決定した場合は、写真やビデオなどによる記録保存とともに一部の部材を保存したいと考えている旨の説明を行った。結局、藤沢市側は神奈川県に対してグリーンハウス保存についての要望書を出すことになったが、県側の回答は現状維持というものであった。2002年(平成14年)にも神奈川県議会議長宛てに、グリーンハウスの早急な修繕と活用を求める494名の署名付きの陳情書を神奈川県議会議長宛てに提出したものの、この陳情は県議会議員の任期満了に重なってしまい、審議未了となってしまった。 このように地域住民らからのグリーンハウス改修、保存と活用を求める意見は、なかなか具体化しなかった。転機となったのが2004年(平成16年)3月、松沢成文神奈川県知事が「神奈川力構想・プロジェクト51」に基づく「県民ひとりひとりが自らの地域を誇れる県土つくり」構想について発表したことであった。上記構想の中で、構想推進のモデル事業の一つとしてグリーンハウスの再生プランの提案が選ばれたのである。2006年(平成18年)には県がグリーンハウス再生プランの提案について具体的な企画公募を行い、邸園文化調査団が公募を受託し、2007年(平成19年)3月には報告書が神奈川県に提出された。またこれと同時にグリーンハウスの設計者であるアントニン・レーモンドが創始者であるレーモンド設計事務所から、神奈川県体育センター第2合宿所現況調査業務報告書が提出される。これらの報告書を踏まえて、神奈川県は10月にグリーンハウスの保存・活用検討会議を立ち上げ、藤沢市と協力しながらグリーンハウスの保存活用について検討していくことになった。そして2008年(平成19年)度の神奈川県の予算で、グリーンハウスの耐震診断費用が計上された。耐震診断はレーモンド設計事務所が行うことになり、2008年(平成19年)12月、レーモンド設計事務所から、グリーンハウスは耐震補強を要しないこと、レストランなどに改修する費用として約5億2800万円が必要であるとの見積もりなどが記された報告書が提出された。しかしその後、グリーンハウスの改修、保存と活用についての動きは再び停滞することになる。
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