クーロン事件とホジソン報告
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「マハートマー書簡」の記事における「クーロン事件とホジソン報告」の解説
1882年末、マドラス(現チェンナイ)近郊のアディヤールに神智学協会本部が設立された。そこではブラヴァツキーの居室の隣に厨子 (shrine) が設けられ、この厨子の中からもマハートマー書簡が出現するようになった。その協会本部では、ブラヴァツキーとは旧知の間柄であったエマ・クーロンという女性とその夫が職員として働いていたが、彼女はその横暴な振舞のために他の協会員との諍いが絶えなかった。クーロン夫妻は解雇された後、キリスト教の伝道師のところに行き、ブラヴァツキーの起こした現象はトリックであったと主張し、クーロン夫妻に「奇跡」を起こすよう指示したブラヴァツキーの手紙を証拠として渡した。以上のような経緯で、1884年9月、インドのキリスト教系雑誌『マドラス・クリスチャン・コレッジ・マガジン』に、マハートマー書簡やその他の「奇跡」が虚偽であったことを示唆する内容の、クーロン夫妻宛のブラヴァツキーの手紙が掲載された。 このクーロン事件(英語: Coulomb Affair)を機に、心霊現象研究協会 (SPR) はブラヴァツキーと神智学協会をめぐるさまざまな「奇跡」を調査するため、同年、リチャード・ホジソンを現地に派遣した。神智学協会本部の調査に当たったホジソンは、翌1885年、協会本部内の厨子の奥にマハートマー書簡出現の仕掛があったことや、マハートマー書簡の筆跡はブラヴァツキーのそれと同一であることなどを報告するホジソン・レポート(英語版)を発表し、これによってブラヴァツキーは巧妙な詐欺師であると断定され、ロシアのスパイだと考えられるようになった。神智学協会側はこれを否定したが、心霊現象研究協会の社会的信頼は大きく、この事件によって神智学協会は大きな打撃を被った。 1986年に心霊現象研究協会のヴァーノン・ハリソン(英語版)は、同レポートの検証を試み、ホジソンの調査には認知バイアスがかかっており、科学的調査とは言えないと指摘し、クートフーミの手紙はブラヴァツキー自身が書いたものではないと判断した。神智学・人智学を日本に紹介する高橋巖は、1986年に心霊現象研究協会が亡きブラヴァツキーに謝罪したという伝聞を伝えている。ただし、ブラヴァツキーの口述を誰かが清書したという疑いは晴れておらず、側近や神智学協会幹部の関与を疑う説もある。人類学者の杉本良男は、クートフーミの手紙はラヴァツキーの側近ダモダル・マーワランカルがアルフレッド・パーシー・シネット(英語版)と交流があった時期に限定されており、ダモダルが1885年に大師を探しにチベットに向かい消息を絶つと手紙も途絶えたため、関与があったことは否定できないと述べている。 マハートマー書簡に対する意見は現在も様々だが、この事件自体は、大英帝国とロシア帝国が、清、英領インドを巻き込んで繰り広げた、チベット・中央アジアなどでの覇権をめぐる「グレート・ゲーム」(19世紀半ばから20世紀初頭)を背景としており、現在では、多くのエリート・キリスト教徒が反英ナショナリズムの立場から神智学協会に加わっていたこと危機感を感じていたキリスト教ミッションと、活動が盛んになっていた神智学協会に対抗心を持っていたイギリスの心霊現象研究団体が、グレート・ゲームでの利害に絡んでスキャンダルを利用したものだと考えられている。杉本良男は、グレート・ゲームにおける諜報戦では、表向き地理学者(測量士)や民族学者(調査者)が主役であったが、ブラヴァツキーのような聖者、霊媒なども重要な役割を果たしたことを指摘している。
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