クリンチュ時代とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > クリンチュ時代の意味・解説 

クリンチュ時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 02:26 UTC 版)

突撃隊」の記事における「クリンチュ時代」の解説

1921年7月29日ミュンヘン駐留する陸軍第7軍管司令部将校エルンスト・レーム大尉(彼は義勇軍志願制郷土軍の維持強化の任にあたっていた)の支持取り付けたアドルフ・ヒトラーナチ党アントン・ドレクスラー失脚させ、代わって党首就任した党首となったヒトラー同年8月3日に「整理隊」を「体育およびスポーツ部(Turn- und Sportabteilung)」と改称のうえ、ハンス・ウルリヒ・クリンチュ(ドイツ語版元海少尉新し隊長任じた。 クリンチュはナチ党ではなくエアハルト海兵旅団から派生した極右テロ組織コンスル」のメンバーであったこの人選はレーム大尉要請よるものであったレーム政府により禁止され義勇軍郷土軍を体育およびスポーツ部に送り込み義勇軍維持図ろうとしていた。そのためにクリンチュを新し隊長推挙したのだった一方ヒトラーエアハルト海兵旅団高く評価していたので、この要請承諾したという。以降義勇軍組織(特にエアハルト海兵旅団)とナチス連携関係ができあがった9月10日ヒトラー体育およびスポーツ部を改組して突撃隊創設することを発表した11月4日ナチ党集会乱入してきたSPD党員800人を50人足らずの体育およびスポーツ部が撃退しこれを機に突撃隊の名称が正式に与えられた。 突撃隊となった後も隊長引き続きクリンチュが務めた初期突撃隊幹部は、ヒトラー要請に応じて派遣されエアハルト海兵旅団指導者たちが占めていた。クリンチュと、後に突撃隊最高指導者となるフランツ・プフェファー・フォン・ザロモンはその代表である。クリンチュらの俸給エアハルト海兵旅団から支払われており、派遣され団員達は引き続き同団の指揮下にあり、半独立的な義勇軍組織としての一面持っていた。エアハルト海兵旅団カップ一揆参加して非合法化されたため、突撃隊への参加組織温存するためにも有効であった。またこの時点ナチスにもエアハルト海兵旅団高い声望を利用しオーバーバイエルン全体勢力広げることができるというメリットがあった。そして軍の立場からナチス関与していたレームにも、連合国によって解散命令出たドイツ義勇軍隊員受け皿として、突撃隊拡充歓迎すべきことであった。やがてエアハルト海兵旅団のみならずベルリンのロスバッハ突撃隊ドイツ語版)のミュンヘン支部エドムント・ハイネスらも突撃隊参加するようになったヒトラー再三わたって突撃隊は党の組織であって党中央決定に従わねばならない」ことを強調したが、こうした他の組織から来ている隊員らは、あまりナチス規律を気に留めなかったという。1923年3月まで突撃隊への実質的な指示は、ミュンヘン義勇軍統括者たるレームが行っており、そのためヒトラーもしばしば彼の元を訪れなければならなかった。とはいえ突撃隊流れてくる義勇軍兵士義勇軍中でも政治化」した部類の者たちが多かったヒトラー義勇軍の間に政治的意見相違はほとんどなかったから、ほとんどの場合彼は突撃隊自由に政治運動参加させることができた。この頃突撃隊員は、ミュンヘン市内での交通費飲食費などは自腹であり、末端突撃隊員にとっては頻繁に動員されることは重い負担であったが、自己の信念から自発的に参加し続けていた。ミュンヘン一揆前の突撃隊は他の義勇軍とほとんど変わりがなく、軍事政治知識授業隊列組んで行進、党および友好団体への参加などを行っていた。 この頃隊員数は1921年末の時点100未満1922年9月時点800未満であった推定されている。1922年夏に突撃隊百人隊呼ばれる単位によって編成されることとなったが、百人隊は必ずしも100人の隊員そろっていたわけではなかった。 1922年3月18日には年齢的に突撃隊入隊できない若年層のために青少年部を設置することが発表された。これが後のヒトラーユーゲントとなる組織であるが、当初突撃隊下部組織定められていた。ヒトラーユーゲント突撃隊から独立するのは1932年5月になってのことである。 1922年10月14日ヒトラーナチスは「ドイツの日(ドイツ語版)」という右翼諸政党が開催していた愛国的集会参加するためにコーブルク訪れた。そこで集会反対する共産主義者デモ隊口論になり、初めナチスミュンヘンの外で他勢力争った。 これらの事件ヒトラーは後に『我が闘争』に「コーブルクへの列車」として記しナチスとりわけ突撃隊重要な闘争史として位置づけた。10年後の1932年闘争10周年記念してコーブルク闘争名誉章」が制定され闘争参加者授与された。

※この「クリンチュ時代」の解説は、「突撃隊」の解説の一部です。
「クリンチュ時代」を含む「突撃隊」の記事については、「突撃隊」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「クリンチュ時代」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「クリンチュ時代」の関連用語

1
2% |||||

クリンチュ時代のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



クリンチュ時代のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの突撃隊 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS