クラブ化後とは? わかりやすく解説

クラブ化後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 08:43 UTC 版)

さいたまブロンコス」の記事における「クラブ化後」の解説

廃止され実業団チームアンフィニ東京ブロンコス」が、市民根強い応援により当時広報で後のGM成田俊彦発案市民資本クラブチームとして再スタートを切るアンフィニ時代加盟していた東京実業団連盟は、チーム始動時には既に登録申請締め切られていた。だが埼玉実業団連盟の登録期限前だったのと、所沢ホームゲーム開催した経験もあって所沢本拠地定めチーム名を「ME所沢ブロンコス」とした。MEは「マツダアンフィニ東京ポート小手指店」の略で、企業名冠した名目上実業団である。 大会規定日本リーグから降格し関東実業団リーグ戦からの出直しとなったが、全日本実業団2連覇果たし住友金属ジャパンエナジー日本リーグからの撤退に伴い1998-1999年度に日本リーグ2部復帰チーム名も「所沢ブロンコス」に改めたその後リーグ戦組織改正伴って1999 - 2000年度から実質的な2部リーグとなる新・日本リーグ加盟することになったその際1999年限り休部となった三井生命森一誠財前統誉士、稲野辺聡の選手3名を獲得したが、会社に籍を残したままだったため、当時実業団連盟規定により出場選手登録認められなかった。3選手プロ契約結べば認める旨を通達する三井生命及び3選手難色示したため、このシーズンは3選手欠いて臨まざるを得なかった。その後連盟から実業団形態に戻すよう通達されるブロンコスは引き下がらず結果日本リーグ選手登録規定変更された。(もっとも、所沢ブロンコス日本リーグ参入特例認められ節があるチーム2006年さいたま市さいたまスーパーアリーナなどで開催される予定世界選手権大会開催きっかけに、2000年からこれまでの所沢市加えさいたま市ホームタウン加えることになり、チーム名も「さいたまブロンコス」に変更された。新リーグになってからは前年度出場停止となった3選手出場認められたこともあって上位参加するようになって、元熊谷組三木力雄ヘッド就任してからは2002-2003年度、そして2003-2004年度のシーズン2連覇達成したMVPそれぞれチャールズ・ジョンソンアイザック・ソジャナー2004年8月新潟アルビレックス(元・大和証券バスケット部)とともにプロリーグ(後にリーグ名・bjリーグ決定)を結成する構想明らかにした。これまでの企業重視運営疑問感じたさいたま新潟の2チーム中心となって全国6都市本拠とする地域密着型の新リーグ作ることを計画したのである日本バスケットボール協会日本リーグ機構からの脱退認めていなかったが、2005年4月脱退認められた。(協会主導プロリーグ計画一歩後退したセミプロ形式日本バスケットボールリーグとして2007年発足された)

※この「クラブ化後」の解説は、「さいたまブロンコス」の解説の一部です。
「クラブ化後」を含む「さいたまブロンコス」の記事については、「さいたまブロンコス」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「クラブ化後」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「クラブ化後」の関連用語

クラブ化後のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



クラブ化後のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのさいたまブロンコス (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS