クラブ同士の対戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/22 14:48 UTC 版)
「サッカーにおけるイングランドとスコットランドのライバル関係」の記事における「クラブ同士の対戦」の解説
両国代表の対戦同様に、両国のクラブの対戦もまた、欧州カップ戦などで数多く行われている。イングランドのクラブとスコットランドのクラブの対戦は、メディアによって「バトル・オブ・ブリテン」と表現されることも多い。バトル・オブ・ブリテンの中で最も有名な試合は、1969-70シーズンのUEFAチャンピオンズカップ準決勝でのセルティックFC対リーズ・ユナイテッドAFC戦である。この試合を機にバトル・オブ・ブリテンという表現が広まった。エランド・ロードで行われたファーストレグは、アウェーのセルティックが1-0で勝利した。セカンドレグは多くの観客が見込まれたため、セルティック・パーク(増築前)ではなくハムデン・パークで行われた。ビリー・ブレムナーの得点でリーズが2試合合計1-1の同点に持ち込んだが、その後逆転したセルティックが2-1で勝利し、2試合合計3-1で勝ち上がりを決めた。1992-93シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ予選2回戦ではレンジャーズFCとリーズが対戦したが、レンジャーズがホーム&アウェーともに勝利し、クラブ史上初の本選グループリーグ出場を決めた。1997-98シーズンのUEFAカップ1回戦ではセルティックとリヴァプールFCが対戦し、アウェーゴールルールによりセルティックが涙をのんだ。しかし、2002-03シーズンの同大会決勝では、2回戦でブラックバーン・ローヴァーズFCを、準々決勝でリヴァプールを撃破したセルティックが決勝まで勝ち上がった。セルティックとマンチェスター・ユナイテッドFCは、UEFAチャンピオンズリーグのグループリーグで短期間に2度(2006-07、2008-09) 同組となった。2009-10シーズンの同大会予選ではアーセナルFCがセルティックを2試合合計5-1で下した。2010-11シーズンの同大会グループリーグではマンチェスター・Uとレンジャーズが同組となり、オールド・トラッフォードで行われたファーストレグはスコアレスドローに終わった。デイリー・テレグラフ紙のロディー・フォーシスは「両リーグの経済的不均衡の拡大が観客数の低迷に反映されていた。レンジャーズは守備的な戦術を採用し、マンチェスター・Uは控え選手を出場させた」とコメントした。2011-12シーズンのUEFAヨーロッパリーグではハート・オブ・ミドロシアンFC(ハーツ)とトッテナム・ホットスパーFCが対戦し、2試合合計5-0でトッテナムが勝利した。2012-13シーズンの同大会予選プレーオフではハーツとリヴァプールが対戦し、2試合合計2-1でリヴァプールが本選グループリーグ出場権を獲得した。 イングランドとスコットランドのクラブは、UEFAチャンピオンズリーグやUEFAヨーロッパリーグ以外の大会でも数多く対戦している。1938年にはエンパイア・エキシビション・トロフィー(Empire Exhibition Trophy)が開催され、アイブロックス・スタジアムで行われた決勝ではセルティックがエヴァートンFCを1-0で下して優勝した。1953年には、前年のエリザベス2世戴冠を記念してコロネーション・カップが開催された。両国から強豪4クラブがトーナメント方式の大会に参加し、準決勝でイングランドのクラブを破ったセルティックとハイバーニアンFCが決勝で対戦。同国対決となった決勝はセルティックが2-0で勝利して優勝した。1955年、欧州サッカー連盟(UEFA)がUEFAチャンピオンズカップを創設した。1970年代には、アメリカの石油会社テキサコが冠スポンサーを務めるテキサコ・カップが設立され、主要なUEFA主催カップ戦の出場権を逃したクラブがトーナメント方式で優勝を競った。しかし、この大会への人々の興味はすぐに薄れ、テキサコは1974-75シーズン終了後にスポンサーを降りた。大会自体はアングロ=スコティッシュ・カップという名称で続けられたが、1981年に廃止された。
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