ギリシャ、ヘレニズム
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古代ギリシャの叙事詩である『イリアス』や『オデュッセイア』では牡牛が価値の尺度になっている。12頭の価値のある鼎、4頭の価値のある女奴隷などの表現があり、支払いには青銅と黄金が使われていた。 ヨーロッパでの最初の硬貨は、古代ギリシャの都市国家であるポリスで急速に普及した。西アジアのリュディアの影響を受けてアイギナでギリシャ最初の銀貨であるスタテルが作られた。紀元前6世紀には南エーゲ海や中央ギリシャ、テッサリアで採用されて交易圏を形成した。リュディアがエレクトラムから分離した金貨を作ると、それをもとにタソスでも金貨を使った。ポリスはそれぞれ異なる貨幣を発行し、大部分が銀貨であり、金貨は王制の貨幣に限られ、銅貨は少なかった。ラウリオン銀山をもつアテナイが最も銀貨を発行して経済力を持った。アテナイはアイギナとは異なる基準の銀貨を発行し経済を主導した。アテナイを中心に海上貿易が盛んになり、ドラクマをはじめとするギリシャの銀貨、アケメネス朝ペルシアの金貨であるダリク、キュジコスのエレクトロン貨などで取引が行われた。小額の貨幣としてはアルゴスやスパルタで鉄貨が流通し、鉄鉱山を持つスパルタはリュクルゴスの時代に鉄棒を唯一の貨幣と定めて、貴金属は国家が独占した。アテナイはポリス内にも貨幣を普及させ、公共事業や民会、陪審に参加する市民にオボルス銀貨を支給する制度が始まった。この制度で貧しい市民もポリスの市場で食料を買えるようになり、富裕市民の公共奉仕も貨幣化されていった。アテナイの貨幣単位には、タラントン、ムナ、ドラクマ、オボルスがあり、タラントンやムナは計算用の貨幣だった。 ギリシャではポリスごとに異なる貨幣を発行したため、両替商が重要な役割を持った。両替商は財産の保管を行いつつ、預けられた金を元手に貸付も始め、銀行も成立した。こうした両替商や銀行は、仕事に使っていたトラペザという机にちなんでトラペジーテースと呼ばれた。 マケドニアではピリッポス2世時代にパンガイオン(英語版)で産出する金からスタテルを発行した。このスタテルが銀中心のギリシャで大きな資金源となり、重量もペルシャの8.4グラムに対して8.7グラムと優れており、大量のギリシャ人傭兵を雇うことを可能とした。アレクサンドル3世は豊富な資金を背景にギリシャ諸都市を征服して貴金属を押収し、各地に造幣所を建設して金貨を発行した。アレクサンドロス3世の征服によって各地から金が運ばれて金貨が急増し、これが最古のインフレーションの記録とも言われる。
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