ピリッポス2世時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/19 08:53 UTC 版)
パルメニオンは王の最も信頼する将軍であり、マケドニア軍の育成に尽力した。ピリッポス2世の基本的戦術はサリッサで武装した比較的軽装の徴募兵ファランクスとテッサリア騎兵などの外様騎兵が敵の歩兵と騎兵の攻勢を支えている間に近衛歩兵と精鋭騎兵が回りこんで包囲攻撃するというものだった。パルメニオンはこのピリッポス2世の構想を現実化するための、攻勢を受け止める役割を担ったとされる。 紀元前338年のカイロネイアの戦いでピリッポス2世はアテナイ・テバイ連合軍を破り、ギリシアでの覇権を手にした。この戦いでパルメニオンは当時王子であったアレクサンドロスと共に左翼の騎兵部隊を率い、ボイオティア軍を壊滅させた。 その後、ピリッポス2世はペルシア遠征を目論み、その前段階としてパルメニオンをアッタロス、カラスと共に先遣隊として小アジアに送った。しかし、ピリッポス2世が暗殺されたため、ペルシア遠征はアレクサンドロスに引き継がれることとなった。
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