ギタリスト・作曲家・編曲家として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/14 16:49 UTC 版)
「佐藤弘和」の記事における「ギタリスト・作曲家・編曲家として」の解説
クラシックギターを指導していた永島志基は、「2~3回教えているうちに作曲はする、ピアノも嗜むといったように、音楽家としての基礎力が先生よりも上で、とても私の手に負えるような弟子ではありませんでした」と述べている。 永島志基の作曲の第一歩である『チングルマの詩』も立山からの帰りの富山電鉄の中で「作曲ってどうやるの?」と佐藤弘和に尋ねた際、「志基さんも出来ますよ!」と手取り足取り教えてくれたのがきっかけだったという。 永島志基に『チングルマの詩』の作曲をアドバイスした方法は、和声や対位法などの作曲理論を教えることではなく、「志基さんのチングルマのイメージを絞りましょう!」「季節は?」「天候は?」といったイメージのやり取りの作曲法であった。 東京ギターカルテットのメンバーである毛塚功一に「ギター演奏家と作曲家と、どちらに重きをおいて活動していくべきか……」と真剣に語っていたことがあった。 コンサートで「自身の最も好きな曲は?」という聴衆からの質問に「『素朴な歌』です」と述べた。 『素朴な歌』以外に自身の曲で好きな作品は、ソロでは『ソナチネ第1番』、『ベイビーズソング』、妻のために作った『約束』、二重奏では『風がはこんだ4つの歌』、マンドリンとギターの作品では『フランス風組曲』。 ピアノを弾いていた頃は「子供のための小品集」の類を弾くのが好きだった。ピアノを始めたのが遅かったので、技術的にはやさしいが音楽的には魅力的なものをピアノ曲として弾くことが多かった。それが自身の作曲に影響を及ぼしている。 ギター曲を作曲するときに心がけていることは、まず弾きやすいこと、メロディーがはっきりしていてわかりやすいこと、感覚重視。パッと閃いたアイディアを大事にし、技術的にも音楽的にも背伸びをしないことを意識している。 作品は人との出会いによって作られたり、また知人に献呈した作品が目立つがという質問に、「人間関係の中で曲はできると思います。プレゼントするのと同じように、作ってあげるというような気持ちが動機として必要ですね。曲の内容は必ずしも人間を材料にするわけではなく、自然であったり、雰囲気であったりですが」と答えている。 好きな作曲家は、作品の傾向や作風が好みで、モーリス・ラヴェル、フェデリコ・モンポウ、ロベルト・シューマン。ギターの作曲家では、フェルナンド・ソル、フランシスコ・タレガ、エイトル・ヴィラ=ロボス、アンドリュー・ヨーク。 自筆譜を書く際はほとんど訂正することなく書き上げる。楽譜の校正の際もミリ単位で指定し、曲に対する書き込みも多く、運指も細かく付けている。 メキシコのクラシックギタリスト、フアン・カルロス・ラグーナ(Juan Carlos Laguna)の依頼で2009年『マルティーナ』、2015年に『マテオ』を作曲し献呈している。2016年10月、武満徹の追悼コンサートに参加するために来日していたフアン・カルロス・ラグーナは「静岡のコンサートで『マルティーナ』と『マテオ』を弾くから来てくれないか」と佐藤弘和にメールしたが「重い病気に罹ったので行けない」との返事であった。佐藤弘和はビデオで演奏を聴いて返事を送っている。 2016年12月15日に国分寺市立いずみホールで行なわれた「佐藤弘和ギター作品展 Vol.6」では、佐藤弘和自身も独奏を行うつもりでいたが、体力的な問題で断念せざるを得ず、代役を原善伸が務めた。佐藤弘和はリクライニング式車椅子をベッドのように倒したままの状態で会場に駆け付け、ステージの上手袖で演奏会の指示をした。
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