キスカの奇跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 07:36 UTC 版)
7月27日、第五艦隊司令長官は突入日を7月29日とした。しかし、7月28日のキスカ島周辺の気象状況は、途中で引き返した第一次作戦時と似たような状況だった。第五艦隊司令部はキスカ突入を決行するかどうか決めかねたが、最終的に突入に決した。これには、突入を主張した「多摩」艦長神重徳大佐の意見によるところが大きいとされる。 艦隊では突入の準備が急遽進められ、燃料補給を、敵機の哨戒圏外で待機していた随伴のタンカー(帝洋丸、栗田丸、日本丸)ではなく、阿武隈の艦艇用燃料を、限界まで(避退行動用と補給限度:残油量300トンだけを阿武隈に残し)各駆逐艦に補給した。 敵艦隊との遭遇を避けるために南西方向から直接突入せずにキスカ島を西側から迂回して島影に沿いつつ、7月29日午後0時に艦隊はキスカ湾に突入した。突入時に旗艦阿武隈が敵艦隊発見を報じ直ちに魚雷4本を発射、同じく島風も発射し全弾命中したが、目標は敵艦ではなく軍艦に似た形の島であったという(湾口にあった小キスカ島)。当時の霧がどれほど濃かったかを示すエピソードである。 艦隊は13時40分に投錨。この時キスカ湾内では一時的に霧が晴れる幸運があった。ただちに待ち構えていたキスカ島守備隊員約5,200名を大発のピストン輸送によりわずか55分という短時間で迅速に収容。この際使用済の大発は回収せずに自沈させ、陸軍兵士には持っている三八式歩兵銃を投棄させて身軽にしたことも収容時間の短縮に繋がった。守備隊全員を収容後、ただちに艦隊はキスカ湾を全速(7月30日午前5時まで、速力28ノット)で離脱した。直後からまた深い霧に包まれ空襲圏外まで無事に離脱することができた。 戦闘詳報によれば、各艦の収容人数は以下のとおり。 阿武隈 1,202名 木曾 1,189名 夕雲 479名 風雲 478名 秋雲 463名 朝雲 476名 薄雲 478名 響 418名、合計5,183名 その日の夕刻、撤収部隊は浮上航行中のアメリカ海軍の潜水艦と近距離でばったり遭遇した。だが各艦とも上述の通り偽装工作をおこなっていたため米潜水艦は撤収部隊をアメリカ艦隊と誤認したらしく、両者とも素通りして行った。7月31日1722、北方部隊指揮官は全潜水艦の幌筵帰投を命じた。 撤収艦隊は7月31日から8月1日にかけて幌筵に全艦無事に帰投した。気象通報に出した潜水艦も8月2日から4日にかけて全艦無事帰投し、ここに戦史上極めて珍しい無傷での撤退作戦は完了する。
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