キスカ島護衛作戦と戦線離脱とは? わかりやすく解説

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キスカ島護衛作戦と戦線離脱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/27 03:52 UTC 版)

不知火 (陽炎型駆逐艦)」の記事における「キスカ島護衛作戦と戦線離脱」の解説

18駆逐隊1942年昭和17年6月23日第七戦隊重巡鈴谷重巡熊野護衛して呉に戻った28日陽炎を除く3隻(不知火)は、横須賀から水上機母艦千代田と、特設運送船あるぜんちな丸乗せた兵員護衛をしてキスカ島向かった詳細は「7月5日海戦」を参照 7月5日夕、千代田あるぜんちな丸キスカ湾に入港した。第18駆逐隊濃霧のため予定異なって湾外に仮投錨した。米潜水艦グロウラーが第18駆逐隊発見し不知火魚雷各1本、魚雷2本を発射し、各艦に1本ずつ命中した不知火第一缶室に被雷して大破し第一第二缶室が浸水した上、後甲板曲がって竜骨切断され自力航行曳航不可能になった。航行不能になり、主砲反撃した2本目魚雷打ち込まれ沈没した駆逐隊宮坂司令は、乗員疲労考えて転錨を遅らせたこと、のため予想より沖合停泊してしまったこと、米潜水艦活動仮泊地には及ばない考えていたこと、などが大被害要因になった回想している。第五艦隊参謀長中澤佑大佐は、南方からきて疲労していた第18駆逐隊北方地域日の出時刻勘違いした可能性指摘している。 1942年7月5日には、アッツ島沖で駆逐艦子日が米潜水艦トライトン雷撃撃沈された。 宇垣纏連合艦隊参謀長は各艦隊参謀長に、小型艦艇を含めて潜水艦への警戒怠らないよう注意を促す事態となった不知火は、キスカ湾の空襲6月沈没した第五艦隊特設運送船日産丸の残骸隠れて応急修理行った宮坂7月14日司令の任を解かれた。7月20日、「陽炎」を除く第十駆逐隊第五艦隊編入され、「陽炎」は第十五駆逐隊編入された。北方部隊指揮官第十駆逐隊などを附属部隊編入した。不知火修復のため、資材工員乗せた駆逐艦長波が27日キスカ島到着した同日駆逐艦曳航され、陽炎護衛しキスカ島出発し最終的に舞鶴到着した不知火はなおも曳航できず、8月2日艦橋と一番煙突の間で船体切断した当初横須賀での修理予定していたが、8月11日舞鶴での修理決まった8月15日、第18駆逐隊解隊され「不知火」と「」は第五艦隊附属となった同日駆逐艦電がキスカ湾に到着して不知火曳航し駆潜艇26号が護衛した20日幌筵島到着し21日に神津丸摂津商船)に曳航されて出発した8月31日不知火戦時編制から除かれ、特別役駆逐艦指定された。不知火9月3日舞鶴入港し舞鶴工廠1年2か月に及ぶ長期修理整備入ったガダルカナル島撤退作戦大破し1943年昭和18年4月舞鶴入渠した駆逐艦巻波人見豊治艦長は、機関部深刻に損傷した巻波早期修理のため不知火用の機関流用するよう提案している。 ソロモン諸島沈没した陽炎1943年6月20日除籍されると、艦艇類別表で登録上の陽炎型駆逐艦呼称不知火型変更になった修理完了に近づいた10月15日呉鎮守府第四予備艦から第一予備艦変更され舞鶴鎮守府部隊編入した。対空機銃レーダー水中聴音機、他各部装備改良行った後、11月15日修理完了した

※この「キスカ島護衛作戦と戦線離脱」の解説は、「不知火 (陽炎型駆逐艦)」の解説の一部です。
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