舞鶴での修理
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 16:52 UTC 版)
1943年(昭和18年)4月24日、「巻波」は舞鶴に到着した。損傷各艦(霞と不知火、初春、太刀風〈5月15日到着〉、阿武隈〈4月17日着、5月17日完成〉、多摩〈5月4日着、20日発〉、名取〈6月1日着〉)等と共に修理に従事する。機関部の損傷は深刻で、人見(巻波艦長)は舞鶴海軍工廠で修理中の「不知火」用機関を流用するよう提案している。各方面は対応に苦慮することになった。 5月20日、駆逐艦「霞」(第四予備駆逐艦)の修理がおおむね完了した。同20日付で巻波駆逐艦長人見豊治中佐は、巻波艦長(本職)に加えて不知火・初春艦長の兼務を命じられ、山名寛雄少佐(霞駆逐艦長)は(霞、不知火、初春)艦長兼務を解かれた。「巻波」では、機関部修理と並行して電波探信儀(レーダー)搭載の工事を実施した。 8月になると、軽巡「長良」 と軽巡「名取」、駆逐艦「長波」、「大波」(8月12日に舞鶴到着)等も、舞鶴海軍工廠で「巻波」と共に修理に従事する。9月10日、人見(巻波艦長)は不知火・初春艦長兼務を解かれ、巻波艦長のみとなる。「巻波」の修理は9月15日に完了した。第31駆逐隊の夕雲型3隻(長波、巻波、大波)は順次舞鶴を離れた。
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