オックスフォード・アパートメント213号室
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 07:32 UTC 版)
「ジェフリー・ダーマー」の記事における「オックスフォード・アパートメント213号室」の解説
1990年3月、ジェフリーは仮釈放となり、新たに北25番街924号にあるアパートに居を構える。ここはミルウォーキー有数のスラム街である。のちに、「ザ・シュライン・オヴ・ジェフリー・ダーマー(ジェフリー・ダーマーの神殿)」として犯罪史に不朽の名を残すこととなるオックスフォード・アパートメント213号室である。 新居に移って間もない5月、ジェフリーは犯行を再開する。犠牲になったのはイリノイ州の刑務所を出所して間もない青年だった。6月24日にはイスラム風に頭にターバンを巻いた、「シャリフ」という愛称で親しまれたゲイの青年がジェフリーのルーティンワークの犠牲になった。7月にヒスパニック系の少年に手を出して失敗、危うく殺人が発覚しそうになったため、約2ヶ月の自粛期間を置いて9月3日に行なわれた殺人は、ジェフリーの犯行に新機軸を打ちたてることとなる。ミルウォーキーの本屋の前で出会ったダンサーの黒人青年は、ジェフリー好みの筋肉質な男性だった。いつもの手際でアパートへ連れ込み、睡眠薬を与えると2ヶ月間封印した破壊衝動を押さえきれなかったのか、喉を掻き切った。そして、いつものように解体しただけでは飽き足らず、食人行為におよんだのである。さらに2週間後、行き当たりばったりで拾った23歳の黒人青年も、ダンサーと同じ運命をたどった。 1991年2月18日、19歳の黒人青年がジェフリーのルーティンワークの材料になる。さらに2ヶ月後の4月7日、やはり19歳の黒人青年をオックスフォード・アパートメント213号室へ招待したが、このときはロボトミー手術を施そうとしている。動機は殺して写真と死体の一部を残してもさみしさだけが募るから、それよりは自分の言いなりになる理想の恋人を自分の手で作り出そうというものだった。しかし、頭蓋骨に穴をあけて塩酸を流し込むというおぞましい手術は失敗に終わり、結局いつものルーティンワークに立ち戻っている。 5月24日には31歳の聾唖者がオックスフォード・アパートメント213号室に消えたが、それから数日と経たないうちに、14歳のラオス人少年を毒牙にかける。このときはいつもの手順を踏まず、彼に睡眠薬を飲ませて性的暴行を加えた後、再びロボトミー手術を試みている。その後、少年はジェフリーがビールを買いに出かけたすきをねらって脱走したが、意識がもうろうとしていたため全裸のままアパートのそばでへたり込んでしまい、一時はアパート周辺は騒然となった。しかし、駆け付けた警官がジェフリーの、これは恋人同士の痴話喧嘩だという説明を信用して引き上げてしまったため、少年は助からなかった。 6月30日、シカゴでおこなわれたゲイ・プライド・パレード見物に訪れたジェフリーは、そこで新たな犠牲者を誘った。それから5日後には再びシカゴを訪れ、23歳の黒人青年をミルウォーキーのオックスフォード・アパートメント213号室に誘った。このとき、青年の友人はジェフリーの誘いを受けるべきかどうか相談されて、「行けよ。彼、まともそうな感じじゃないか」と答えたが、後にこの友人は後悔の念をにじませながら、「連続殺人者が、どんな顔か知っている奴なんかいないよ」と語っている。 7月15日、ジェフリーは6年間勤務したアンブロシア・チョコレート社を解雇された。理由は頻繁な欠勤と遅刻、それにともなう勤務成績の急激な悪化だった。また、家賃の滞納が続いたため、7月いっぱいで部屋の立ち退きを迫られていた。このころになると、もはや普通の人としての仮面をかぶり続けることすら不可能になりつつあった。犯行も終盤を迎えると、かなり行き当たりばったりに犠牲者を手にかけるようになり、ただでさえ手狭な部屋はこれまで手にかけてきた犠牲者のバラバラ死体であふれかえり、異臭はもはやアパート全体を覆いつくすほどだった。解雇通知を受け取ったジェフリーは、その日のうちに24歳のトラック運転手に声をかけ、いつも通りの犯行におよぶ。7月19日、ミネソタ州から仕事を探すためにミルウォーキーを訪れていた失業中の白人青年をオックスフォード・アパートメント213号室へ招待した。17人目の犠牲者だった。
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