オカマ名称の歴史と問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 15:35 UTC 版)
女装男娼への蔑称 「オカマ」は戦後の一時期まで女装する男娼への蔑称で、戦後直後には既に女装者は、オカマと呼ばれたくないという抗議の声を上げていた。女装家の青江忠一(青江のママ)は自分を「ゲイボーイ」と思っているので、街中で「オカマ」と罵られると、追いかけてハイヒールで殴って抗議していた。それほど女装者にとって「オカマ」は差別的な蔑称と受け止められていた。 使用範囲の拡大 それが非女装の女性的なゲイなどへの蔑称としても使われだしたのは、東郷健が国政選挙に初立候補した1971年辺りからだとされる。彼が「オカマの東郷健です」と演説したり選挙広報番組で発言したのが始まりで、少し後れて1975年にデビューしたおすぎとピーコがそれを受け継ぎ、「私たちオカマです」という物言いでお茶の間に拡散させた。 女性的なゲイ/異性愛男性の蔑称へ これにより、当初は女装男娼者の中のそれも肛門性交をよくするタイプへの蔑称だったのが、1980年代に入った辺りからは使用範囲が拡大し、女装男性のほか、非女装の女性的なゲイ、あるいは同性愛ではない女性的な異性愛(ヘテロ)男性への蔑称としても使われるようになった。学校などではゲイ・ヘテロを問わず、女性的だと「オカマ」と罵られ、暴力的ないじめに遭う被害も起きた。男性は、男性らしくなければならないという性差別的意識も背景にあるとされる。 すこたんソーシャルサービスの主宰者は、大学の非常勤講師として学生に接すると、ヘテロだが少し女性的な男子学生でオカマと言われて凄く辛い経験をしたという者が「毎年、200人中4〜5人はいる」と話している。男性からとは限らず、クラスの女子生徒や果ては母親からも「オカマみたい」と罵られ、嘲笑され、人間としての尊厳やセクシュアリティを否定されることも多い。 批判 美輪明宏は一部同性愛者(オネエ、TGの一部)のメディアにおける「私たちはどうせオカマだから」という自虐的な物言いについて、「自分たちはそう自己卑下していればいい。けれど若い人たちはどうなるのか。明日学校で、女性的だという理由でからかわれたりすることになる。せっかく同性愛が市民権を得てきたのに歴史が逆戻りする」と批判している。 女装家で性社会史研究家の三橋順子も「部落差別や在日差別、女性差別などを指す、様々な蔑称や差別用語の使用に配慮されるようになってきたんですが、“オカマ”だけが今も遠慮なく使われ、性的マイノリティだけは別になっている」として、「“オカマ”は日本社会に残った差別カテゴリー。メディアにおける最後の差別カテゴリーなんです」と言っている。 2020年3月、タイについての情報を扱うWEBメディア『タイランドハイパーリンクス』で、ライターの1人がバンコク在住の女性から「『オカマ』は差別用語」と執筆した記事についての指摘を受けた。
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