エマーム・ホメイニー国際空港
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/15 07:49 UTC 版)
| エマーム・ホメイニー国際空港 فرودگاه بینالمللی امام خمینی Tehran Imam Khomeini International Airport |
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| IATA: IKA - ICAO: OIIE | |||||||||||||
| 概要 | |||||||||||||
| 国・地域 | |
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| 所在地 | テヘラン州 | ||||||||||||
| 母都市 | テヘラン | ||||||||||||
| 運営者 | イスラム革命防衛隊 | ||||||||||||
| 開港 | 2004年5月8日 | ||||||||||||
| ターミナル数 | 1 | ||||||||||||
| 拠点航空会社 | イラン航空 マーハーン航空 |
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| 標高 | 1,007 m (3,305 ft) | ||||||||||||
| 座標 | 北緯35度24分58秒 東経51度9分8秒 / 北緯35.41611度 東経51.15222度座標: 北緯35度24分58秒 東経51度9分8秒 / 北緯35.41611度 東経51.15222度 | ||||||||||||
| 公式サイト | https://www.ikac.ir | ||||||||||||
| 地図 | |||||||||||||
| 空港の位置(イラン) | |||||||||||||
| 滑走路 | |||||||||||||
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| リスト | |||||||||||||
| 空港の一覧 | |||||||||||||
エマーム・ホメイニー国際空港(ペルシア語: فرودگاه بینالمللی امام خمینی Forūdgāh-e Beinol-melalī-ye Emām Khomeinī)は、イランの首都テヘランの南約30kmにある空港である。市街地の中にあるメヘラーバード国際空港を補完する目的で建設された。当初はアフマーダーバード空港の呼称であったが、1979年のイラン革命の指導者であるルーホッラー・ホメイニー(イランではエマームの称号を冠される)の名が採られた[1] 。
歴史
開港まで
空港の建設は1979年のイラン革命以前から行われており、ダラス・フォートワース国際空港を範にとって設計された。当初の設計はアメリカ合衆国の設計コンソーシアムTAMSの手になるものである。さらに空港の設計・建設・管理を一括して行う地元の合弁事業体TAMS-AFAが設立された。
しかしながら、イラン革命の勃発により計画は凍結。その後、政府はイランの技術ノウハウによる建設を決定し、地元の設計者・技術者をフランスのADPグループが主導する形で進められたものの、この契約も2年後に破棄。公共企業連合たる被抑圧者財団(M&J財団)に引き継がれる。メイン・ターミナルは被抑圧者財団によって落成された。この時点でイラン民間航空機構の決定により、空港ターミナルの運営はトルコのTAVに任された。
空港用地は13,400ヘクタールが確保された。空港の隣接地に物流拠点や「臨空都市」が建設される計画だった[2]。
開港と混乱
当初の開港予定は2004年2月1日(「10夜の夜明け」=革命記念週間の初日)が予定された。しかしイラン石油省との協定調印の不調による新空港への燃料供給懸念など問題が山積、開港は同年5月8日まで遅延した。さらに開港を目前にして地元航空会社2社が新空港への移転を拒否する事態が出来した。経済紙「ハヤーテ・ノウ」は半官半民の航空会社イラン・アーセマーン航空の社長アリー・アーベドザーデの「私たちは外国人の運営する空港からは飛ばさない」という言葉を引いている。
5月7日、当局はTAVに空港からの機材・人員の引揚を命令、運営はイラン航空に委ねた。これについて空港総裁ホセイン・ピールーズィーは「TAVが空港運営を行う」と発言した。
5月8日にエマーム・ホメイニー国際空港は開港した。しかし、数時間もたたないうちに、空港運営における外国人の関与と、それによる航空保安上の懸念を理由として革命防衛隊の手で閉鎖された。結局、着陸が許可されたのはドバイからのエミレーツ航空の第一便のみで、続く同じドバイからのイラン航空便は新空港が閉鎖されていたうえにメヘラーバード国際空港への着陸も許可されず、エスファハーン国際空港への目的地変更を余儀なくされ、残余の便はすべて着陸空港をメヘラーバードへと変更された。5月11日、トルコ外務省のユギュル・ズィヤル次官はイランのキャマール・ハッラーズィー外相と会談、この件に関するイラン軍の活動に懸念を表明した。
5月13日、新空港は再開された。革命防衛隊の幕僚代理としてアリー・アフシャール准将は「外国企業はすでに空港運営から離れており、保安上の懸念はすでに解消した」と発言。一方、TAV側は論争解決のために2週間の退去で合意したものの、TAVがターミナル1の運営を行うというイラン政府との署名協定書がいまだに効力を持つと信じる、と述べている。
さらに問題をややこしくしたのが、2005年4月29日に英国およびカナダが発出した両国市民への空港利用に関する警告である。警告では、エマーム・ホメイニー空港の滑走路が以前のガナート(地下水路)上に建設されており、安全性に懸念があるとした。イラン当局はこれについて、同空港は国際民間航空機関による調査・認証を経ており、安全上の問題はないとの反論を行っている。
メヘラーバードからの国際線移転
メヘラーバード国際空港からの国際線移転は段階的に進められた。当初はペルシア湾岸諸国発着便のみがエマーム・ホメイニー空港へ移転した。国内線と巡礼便(ハーッジとウムラのためのサウジアラビアゆき)以外は全てエマーム・ホメイニー空港へ移転する計画であった[3] 。この計画にそって2006年夏に残りの国際線が移転する予定であったが、たびたび延期。最終的には2007年10月28日午前0時をもってダマスカス、ジッダ、マディーナなど数便以外をエマーム・ホメイニーに移転することが10月26日に発表された。これは発表通りに実施され、エマーム・ホメイニー空港はテヘランにおける国際空港として、完全な運用に移った[4]。
開港後の問題
外国人が首都の国際空港を運営する事に対する反対意見は根強く、2005年4月以降は国内の航空会社4社が共同で空港を運営することになった。
利用者の苦情
2008年1月4日、テヘラン州とギーラーン州は50年来イランには見られなかった激しい暴風に見舞われた。その後も気象状況は緩和せず、1週間にわたって全てのフライトが欠航となった。しかしエマーム・ホメイニー空港は標準的な旅客サービス、すなわちレストラン、近傍のホテル、免税店などが欠如しており、なにより今後の見通しに関する情報提供が欠けていた。怒った利用客により空港内は騒乱状態となり、個々の要求への返答と食事の無償提供を要求した。騒乱は警察によって非暴力的に解散させられた。この事件を受けて、2008年1月13日、航空会社4社は空港運営を辞退すると表明した。
利用状況
開港後の旅客数は低迷している[5][6]。これはアメリカ合衆国によるイランに対する制裁が影響していると思われる。
空港利用税
イランのパスポート保持者は年齢に関係なく課税される。これはイラン暦1年間(西暦3月20〜3月21日)において1回目に15万リヤール、2回目に20万リヤールが徴収される。ただしイギリス、アラブ首長国連邦、トルコへの出発に際しては1回目30万リヤール、2回目40万リヤールである。1ドルは約9200リヤールである。海外在住のイラン市民については現在、空港税は要求されないようになった。
就航航空会社と就航都市
国際線
| 航空会社 | 就航地 |
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ドバイ国際空港(ドバイ)、イスタンブール空港(イスタンブール)、ヘイダル・アリエフ国際空港(バクー)、チャトラパティ・シヴァージー国際空港(ムンバイ) |
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中東: ドバイ国際空港(ドバイ)、バグダード国際空港(バグダード)、[7]、アルビール国際空港 (アルビール)、スレイマニヤ国際空港 (スレイマニヤ)、イスタンブール空港(イスタンブール)、エセンボーア国際空港(アンカラ)、カーブル国際空港(カーブル)、イスラマバード国際空港(イスラマバード)、アッラーマ・イクバール国際空港(ラホール) アジア: 北京首都国際空港(北京市)、上海浦東国際空港(上海市)、広州白雲国際空港(広州市)[8]、深圳宝安国際空港(深圳)、スワンナプーム国際空港(バンコク)、プーケット国際空港(プーケット)、インディラ・ガンディー国際空港(デリー) |
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バグダード国際空港(バグダード)、アン=ナジャフ国際空港 (ナジャフ) |
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ドバイ国際空港(ドバイ)、イスタンブール空港(イスタンブール)、アドナン・メンデレス空港(イズミル)、カーブル国際空港(カーブル)、イスラマバード国際空港(イスラマバード) |
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アン=ナジャフ国際空港 (ナジャフ)、イスタンブール空港(イスタンブール)、エセンボーア国際空港 (アンカラ)、アドナン・メンデレス空港(イズミル)、ガジパシャ空港(アランヤ)、ズヴァルトノッツ国際空港(エレバン) |
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バグダード国際空港(バグダード)、アン=ナジャフ国際空港 (ナジャフ)、イスタンブール空港(イスタンブール) |
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アン=ナジャフ国際空港 (ナジャフ) |
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バグダード国際空港(バグダード)、ドバイ国際空港(ドバイ)、イスタンブール空港(イスタンブール)、ズヴァルトノッツ国際空港(エレバン)、トビリシ国際空港(トビリシ)、アルマトイ国際空港(アルマトイ)、タシュケント国際空港(タシュケント) |
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バグダード国際空港(バグダード)、ドバイ国際空港(ドバイ)、マスカット国際空港 (マスカット)、イスタンブール空港(イスタンブール)、トビリシ国際空港(トビリシ)、ズヴァルトノッツ国際空港(エレバン) |
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アン=ナジャフ国際空港 (ナジャフ)、ドバイ国際空港(ドバイ)、マスカット国際空港 (マスカット)、トビリシ国際空港(トビリシ)、ドゥシャンベ空港(ドゥシャンベ) |
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アン=ナジャフ国際空港 (ナジャフ)、タシュケント国際空港(タシュケント) |
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バグダード国際空港(バグダード)、アン=ナジャフ国際空港 (ナジャフ)、イスタンブール空港(イスタンブール)、アドナン・メンデレス空港(イズミル)、ズヴァルトノッツ国際空港(エレバン)、カーブル国際空港(カーブル)、マザーリシャリーフ国際空港(マザーリシャリーフ)、チュニス・カルタゴ国際空港(チュニス) |
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バグダード国際空港(バグダード) |
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バグダード国際空港(バグダード)、ナジャフ国際空港 (ナジャフ) |
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ヘイダル・アリエフ国際空港(バクー) |
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バグダード国際空港(バグダード)、ナジャフ国際空港 (ナジャフ) |
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マスカット国際空港 (マスカット) |
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ドバイ国際空港(ドバイ) |
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ドバイ国際空港 (ドバイ) |
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シャールジャ国際空港(シャールジャ) |
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ハマド国際空港(ドーハ) |
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クウェート国際空港(クウェート) |
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クウェート国際空港(クウェート) |
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ズヴァルトノッツ国際空港(エレバン) |
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ドゥシャンベ空港(ドゥシャンベ) |
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北京大興国際空港 (北京)、ウルムチ地窩堡国際空港(ウルムチ市) |
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イスタンブール空港(イスタンブール) |
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サビハ・ギョクチェン国際空港(イスタンブール) |
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サビハ・ギョクチェン国際空港(イスタンブール)、エセンボーア国際空港(アンカラ) |
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シェレメーチエヴォ国際空港(モスクワ) |
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季節運航 : フランクフルト空港(フランクフルト) |
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ウィーン国際空港(ウィーン) |
過去の就航路線
事件・事故
2007年12月15日イラン時間午前3時、KLMオランダ航空のエアバス A330型機がルフトハンザ航空機と接触する事故が起こっている。犠牲者は出ていないが、この事故の影響でルフトハンザ航空601便は欠航、両社社員間で深刻な口論が持ち上がる結果となった。事故はKLM機が搭乗橋横付けのために停止する際に、フランクフルトへ向けて離陸のため滑走路へ向かっていたルフトハンザ機の翼に接触したためである。両機とも重大な損傷は受けていない[15]。
2020年1月8日、ウクライナ国際航空752便が離陸直後にイスラム革命防衛隊の地対空ミサイルによって撃墜され、乗員乗客176人全員が死亡した。
交通
市内へのアクセスは、地下鉄とタクシーの2つ[16]。
地下鉄
2017年8月7日にテヘラン・メトロ1号線の沿線が通り、市内中心部まで地下鉄で結ばれた。
タクシー
到着ゲートを出たところがタクシー乗り場となっている。そこにはカウンターや待機列に常住している係員がいる。テヘラン市内へは、一律料金の75万リアル(約2,000円)。但し、所要時間は約1時間~3時間程度となっている。なお、白タク行為をしてくる人がいるので注意。
脚注
- ^ “To Iran Tour”. 2025年11月2日閲覧。
- ^ “IKAC”. 2025年11月14日閲覧。
- ^ Rezaee, Siavash (2007年10月30日). “President of National Civil Aviation Organization in an interview with "Iran": small airlines will be eliminated” (Persian). Iran-e Eqtesadi. p. 2
{{cite news}}:|publisher=では太字とイタリック体は使えません。 (説明)⚠ - ^ “Hot news”. IKIA.ir. (2007年10月26日) 2007年10月26日閲覧。
- ^ “British Airways and Air France to Suspend Iran Service”. The New York Times. (2018年8月23日). オリジナルの2018年8月24日時点におけるアーカイブ。 2024年4月15日閲覧。
- ^ /web/20180709133138/https://www.usatoday.com/story/travel/flights/todayinthesky/2018/07/09/dutch-carrier-klm-end-iran-flights/767134002/ “Dutch carrier KLM to end Iran flights”. USA Today. Associated Press. (2018年7月9日). オリジナルの2018年7月9日時点におけるアーカイブ。 2024年4月15日閲覧。
{{cite news}}:|archiveurl=の値が不正です。 (説明)⚠ - ^ “Mahan Air NW25 International Network Additions”. 2025年10月31日閲覧。
- ^ イランのマーハーン航空、A340でテヘラン/広州線に就航
- ^ https://simpleflying.com/iran-air-halts-flights-europe/
- ^ “Winter Schedule 2007/2008” (English). Iran Air. 2008年1月12日閲覧。
- ^ https://www.asiatravelnote.com/2018/02/20/airasia_x_to_suspend_services_to_tehran.php
- ^ https://londonairtravel.com/2018/08/23/british-airways-suspends-tehran/
- ^ https://flyteam.jp/news/article/96888
- ^ https://www.timesofisrael.com/air-france-british-airways-to-end-flights-to-tehran-as-us-reimposes-sanctions/
- ^ “Lufthansa, KLM planes collide at IKIA” (English). Press TV. 2008年1月5日閲覧。
- ^ [1]
外部リンク
- エマーム・ホメイニー国際空港のページへのリンク