エスティマの開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/28 01:41 UTC 版)
昭和58年(1983年)、エスティマの主査(CE)となり、翌昭和59年(1984年)、製品開発企画室に配属。商用車・SUVの開発に従事する。塩見は、 軽積・定積を問わず、常に前後50:50に近い重量配分にする 小さなヨーイング慣性モーメントで、操縦性・安定性とブレーキ性能を実現させる フルキャブオーバー並のスペース効率を持った広い室内にする 世界中のデザイナーが夢見るワンモーションの未来的なデザインにする 女性にも容易な乗降性とウォークスルーなどに優れた使用性を追求する 圧迫感の無いインストルメントパネルによりサービス性を向上させる をコンセプトに車輌を開発。エンジンは、床下にエンジンを格納するため、小型化し、75度傾けて搭載することを提案したが、開発当時、このエンジンのを「横倒しエンジン」と呼んでいたため、「お前はトヨタを倒す気か!」と言われて揶揄され以降は「低姿勢エンジン」と呼び方を変えて開発を進めた。補機駆動システムは、車両前部のフード内に、PSポンプやファンを格納。後部からドライブシャフトを介して駆動するという独自の構造を採用した。 また、エンジンオイルレベルセンサーを設け、エンジンオイルオートフィーダーシステムを開発し、エンジンオイルの量のチェックと自動的に補充を行うことが出来るようにした。シャシーの開発は、ミッドシップエンジンのレイアウト、ロングホイールベースとワイドトレッド、低重心によって、基本的に理想の重量配分と最小のヨーイング慣性のモーメントを実現して、さらに最新の独立懸架とディスクブレーキを採用し、これらを高次元で融合することで、操安性、乗心地、ブレーキ性能を達成した。 昭和63年(1988年)、技術担当取締役に就任。初代エスティマは、性能・外観ともに魅力ある自動車の開発を目指し、斬新なボディー形状を採用。平成2年(1990年)2月にアメリカで販売を開始し、日本と欧州、豪州については、3ヶ月遅れて5月に販売を開始した。エスティマは車内空間と乗用車並みの運転性能をワンボックスカーで実現し、自動車市場を席捲。「トヨタの天才タマゴ」と呼ばれ、日本の「カーオブザイヤー」など、多数の賞を受賞する。
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