エクスパンション時代、「ビッグ、バッド、ブルーインズ」とは? わかりやすく解説

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エクスパンション時代、「ビッグ、バッド、ブルーインズ」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/16 08:19 UTC 版)

ボストン・ブルーインズ」の記事における「エクスパンション時代、「ビッグ、バッド、ブルーインズ」」の解説

1960年代後半になると、様相一変するブルーインズは、1966-1967シーズンドラフトで、後年史上最高のディフェンス選手多くの者から目されることになる若き日ボビー・オア (Bobby Orr) を入団させた。また、史上最も一方的といわれるシカゴ・ブラックホークスとのトレードで、フィル・エスポジト (Phil Esposito)、ケン・ホッジ (Ken Hodge)、フレッド・スタンフィールド (Fred Stanfield) を移籍加入させた。 ホッジとスタンフィールドは、ボストン期待どおり活躍見せたが、それにもましてエスポジトは、NHL選手としては初のシーズン100ゴール突破した他、数々のゴール・ポイント記録打ち立て屈指の点取り屋としての才能開花させた。ホッジやデレク・サンダーソン (Derek Sanderson) は、チームメートウイング、ジョニー・ビュサイク (Johnny Bucyk) やジョン・マッケンジー (John McKenzie) らに加わり、ダラス・スミス (Dallas Smith)といった堅実なディフェンスゴーリーGerry Cheevers を併せて1960年代後半から1970年代にかけて、チームは、リーグ屈指の強豪として君臨する。この当時、乱暴で粗野なプレーNHL史上でも類を見ない圧倒的な攻撃力組み合わせたボストン・ブルーインズ通り名は、「ビッグバッドブルーインズ ("Big, Bad Bruins"、(注)破裂音 B の頭韻踏んでいる。)」であった。 1969-1970シーズンブルーインズセントルイス・ブルースを第4戦で破り29年ぶりにスタンレー・カップ獲得する。この第4戦では、ボビー・オア延長戦決勝ゴール決めた。このゴール後における、オア勝利喜びで腕を突き上げながら、空中を舞うシーン収めた写真は、今日でもプロホッケーに関する写真中でも当に有名なものとなっている。 1971年は、ボストン・ブルーインズにとってある意味1970年代最高点達したであったブルーインズ支配力大洪水のように圧倒的なもので、数十にも上る攻撃面での得点記録更新及んだリーグ得点10傑には、ブルーインズ選手が7人も名を連ね2005年現在最高記録)、シーズン最多勝記録さらには1969年以前にはNHL一人も出なかった100ポイント獲得選手この年4人も輩出した。この4人(オアエスポジト、ビュサイク、ホッジ)は、揃ってオールスター戦の第1チーム選出された(この偉業は、エクスパンション時代では、ほかに1977年モントリオール・カナディアンズのみが達成している。)。こうしてブルーインズは、カップ連覇向けて準備万端あるかのように見えたが、プレイオフ思わぬつまずきをした。準々決勝の対モントリオール・カナディアンズ戦(カナディアンズのゴーリー新人ケン・ドライデン第2試合一時5対1とリードしていたブルーインズは、7対5とまさかの逆転負け喫したのである。これ以後、このシリーズ二度と立ち直ることなく、第7戦でカナディアンズに敗れ去った。 翌1972年チーム前年ほどに圧倒的とはいえなかったが(それでも、前年比べわずか3ポイント劣るのみ)、プレイオフでは再び栄光包まれた。スタンレー・カップ決勝では第6試合で、オア大活躍もあってニューヨーク・レンジャース猛追かわした2010-2011シーズンまでは、これがボストン・ブルーインズの最も直近のカップ優勝となっていた)。 ブルーインズは、1970年代通じて(Cheevers、マッケンジーサンダーソンらのスター選手WHA への移籍はあったものの)リーグ優位占めたが、プレイオフでの成績いまひとつであった。1973-1974シーズンには、エスポジトオアホッジ100ポイント・トリオを揃えながら、荒っぽいフィラデルフィア・フライヤーズ決勝破れた。 1974-1975シーズンには、派手なドン・チェリー (Don Cherry) が引退し、新コーチ就任したチェリー指揮にあった時代ブルーインズは、依然としてエンフォーサー(ラフプレーヤー)がたくさんおり、また、技巧者グレッグ・シェパード (Gregg Sheppard)、荒くれ者のテリー・オライリー (Terry O'Reilly)や点取り屋Peter McNab らに支えられいわゆる"Lunch Pail A.C." として他チームからは恐れられた。 しかし、ボビー・オア場合そうはいかなかった。。1975-1976シーズン終了後チーム去りシカゴ・ブラックホークス移籍した。そして、数度のひざの手術を経て1979年引退したブルーインズは、オア失ったが、シーズン初期電撃トレードによってニューヨーク・レンジャースから Jean Ratelle とともに偉大なブルーライナー、ブラッド・パーク (Brad Park) を獲得し(このトレードは、フィル・エスポジトレンジャース移籍見越したものであった。)、プレイオフ準決勝進出したが、フィラデルフィア・フライヤーズ敗れ去った1977年には、Cheevers が WHA からチームに再入団果しブルーインズ準決勝フライヤーズ下すが、決勝ではモントリオール・カナディアンズ敗退した1978年にも、これと同様の展開が繰り返された。 1978-1979シーズン準決勝、対モントリオール・カナディアンズ戦ではついに、コーチチェリー無策ぶりが露呈することとなった天王山の第7戦、1点差でリードしていたブルーインズは、第3ピリオド後半でメンバーオーバー(Too many men on the Ice)の初歩的な反則犯してしまう。キルプレーとなったブルーインズは、同点ゴール決められ、さらに延長戦敗北した

※この「エクスパンション時代、「ビッグ、バッド、ブルーインズ」」の解説は、「ボストン・ブルーインズ」の解説の一部です。
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