ウィーン=グロックニッツ鉄道・南部帝国鉄道及び南部鉄道
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「オーストリア南部鉄道」の記事における「ウィーン=グロックニッツ鉄道・南部帝国鉄道及び南部鉄道」の解説
産業革命と来たるべき工業化時代の需要を満たすため、アドリア海と首都を結ぶように鉄道は敷設された。すなわち、オーストリア帝国唯一の大規模港湾が存在するトリエステとウィーンを結ぶことである。フランツ・リープル(Franz Xaver Riepl, 1790-1857)はブルック、モションマジャローヴァール、ソムバトヘイ、マリボル、リュブリャナを経由地として提案し、それは東アルプスおよびゼメリングを避ける迂回経路であった。一方ゲオルギオス・シナス男爵(Georgios Sinas, 1783~1856)もハンガリーに通じる経路に関心を持って、マティアス・シェネラー(Matthias von Schönerer, 1807-1881)に二つのウィーン - ジェール区間路線の敷設を委託した。シナスはウィンからウィーナー・ノイシュタット、ショプロンを経てジェールに至る鉄道の建設を計画して、1836年帝国政府にこの路線に関する建設許可を申し込んだ。1838年1月2日建設許可は与えられ、ウィーン=ラープ鉄道会社が設立された。 工事は1839年4月にバーデン - ウィーナー・ノイシュタット区間で始まり、1841年5月16日その区間が開業された。同年6月グロックニッツ鉄道はウィーンまで延伸され、出発地はウィーン・グロックニッツ駅となった。1842年5月5日までウィーナー・ノイシュタット - グロックニッツ区間は二段階にかけて開通された。ハンガリー方面の鉄道建設の中止のためウィーン=ラープ鉄道会社(Wien-Raaber Eisenbahn-Gesellschaft)に関する敷設許可は取り消されて、社名はウィーン=グロックニッツ鉄道会社(Wien-Gloggnitzer Eisenbahn-Gesellschaft)に変更された。1853年3月30日の契約により、南部帝国鉄道(k.k. südliche Staatbahn)がウィーン - グロックニッツ間の鉄道路線を運営することとなった。ウィーン=グロックニッツ鉄道は再びウィーン=ラープ鉄道と改称された。 シナスには残りの敷設権は保障されたが、グロックニッツ - トリエステ区間を帝国鉄道省が続いて直接建設した。南部帝国鉄道はゲーガーの監督下で1842年にミュルツツシュラーク - グラーツ区間の建設を始まった。1844年10月21日その区間が開通され、運営権はウィーン=グロックニッツ鉄道に引き渡された。南部帝国鉄道は続いてグラーツ - ツェリェ区間で線路を建設し、1848年6月2日その区間を開通した。 1857年10月に南部鉄道はツェリェからリュブリャナ経由でトリエステで帝国政府によって建設される。南部鉄道会社(Südbahn-Gesellschaft)は帝国政府の資金不足の結果で株式会社として設立された。ウィーン - トリエステ区間の鉄道が1858年、フランス人資本家に支配された、南部鉄道会社に引き受けられた。1860年10月トリエステ - ウーディネ区間の開通でウィーンからミラノまで列車通行が可能となった。1866年プロイセンとの戦争結果、オーストリア帝国はヴェネチア地方をイタリア王国に譲り渡せねばならなかった。 この二つの路線をゼメリング鉄道が繋ぐこととなる。グロックニッツ - ミュルツツシュラク区間の工事は、3月革命以後、1848年8月に始まって、列車の通行は1854年5月15日にその区間で可能となった。同年7月17日から一般旅客列車がその区間を通過している。ヨーロッパ最初の山岳鉄道の工事期間はフォン・ゲーガの名と責任と共にオーストリア鉄道建設で燦然たる時期と評価されている。 1858年に南部鉄道会社に売却され、マリボルからクラーゲンフルト、フィラッハ、リエンツを経由してフォルテッツァまで行く路線と共に会社を構成した。 この南部鉄道会社によって、トリエステは貿易量を何倍にも増やすことになった。つまりそれはオーストリア・ハンガリー帝国の国際海洋貿易を向上させ、トリエステは南部中欧で最も巨大な主要港湾としての地位を確立させ、国内ではウィーン、ブダペスト、プラハに次ぐ4番目の大都市として名を馳せた。 また、鉄道はブダペスト、プラハと共にアドリア海沿岸を観光地として発展させるのに重要な影響を与え、トリエステを「オーストリアのリヴィエラ」の中心地にさせた。
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