アニメ業界など
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庵野秀明大学時代の同期で、入学後最初のグループ作りの時に「死にそうな顔をした」(島本談)庵野を発見するも、席が遠かったという理由で一緒の組にはならなかった。しかし以後も個性の強い庵野のことは気になっていて、島本は自分の描いたアニメの制作課題(人が走って近づいてくる動画)が、庵野の制作課題(緻密に描かれた車の上に車が落ちてくる動画)と比べて天と地の差があることに衝撃を受け、アニメでは彼には敵わないと漫画の道を進むことに決めたという。後に「頭の中が違うと思った」と話している。 後に岡田斗司夫から、庵野秀明・山賀博之・赤井孝美の3名は、そもそも映像志望の自分たちと漫画家志望の島本では目指すところが違っていると思われていたので、彼らからは全くライバル視されておらず、「ライバル視し合っていた」というのは島本の思い込みであったことをニコニコ生放送での対談において知らされ、大きなショックを受けた。 初めてサインを書いた相手も庵野である。両人によれば「お互い一方的にライバル視し合っていたが授業で会うことはほとんどなかった」らしい。なお、庵野の班員であった山賀博之のことは知っていたが、赤井孝美らとはあまり面識がないようである。庵野いわく、様々な行動から大学時代はすでにちょっとした有名人だったという。 NHK BS2のBSマンガ夜話『燃えよペン』の回によると、岡田が庵野にインタビューした際「手塚(島本の本名)はねえ」と嬉しそうに切り出し、「授業でバスケットボールをやった際、手塚が敵にボールを取られた時『すまん! 俺のせいで! もう一度、俺にチャンスをくれええ!!』と叫んだ」という。そのため、庵野が島本のマンガを初めて見た際「手塚がまんま出てる」という印象を受けたという。 『アニメ店長』のPVでは、友情監督を自ら買って出ている(これ以前にガイナックスは『炎の転校生』OLA版の制作にも関わっている)。 『アオイホノオ』では、島本をモチーフとした主人公(ホノオ)が延々と運転免許取得に励んでいた時ガイナックス創立メンバーについて語られるなど、もう1人の主人公的な立場となっている。 岡田斗司夫初顔合わせ前に島本の噂を山賀・庵野・赤井から聞いていた。 初顔合わせは『ふしぎの海のナディア』がリアルタイムで放送されていた頃、当時、岡田が社長を務めていたガイナックスが『炎の転校生』をOLA(オリジナルレーザーディスクアニメ)で制作することとなり、関係者が顔合わせする会議の時だった。当時はバブル時代であり、岡田は日本人はギャグは大変好きではあるものの、ギャグに金を払うのは死ぬほど嫌いな民族で、『炎の転校生』はギャグ作品のためそのまま売り出しても絶対に売れないと考えていた。そして岡田は、無駄にパンチラを出し続けるチラリズムエロとセンスの良い格闘戦が必要だという結論に至ったという。 テレビブロスのコラムで「仕事場の隣が、自分の経営する本屋とレンタルビデオ店」という島本の環境を羨んだ。 冠番組『岡田斗司夫のプチクリ学園』では最終回に島本を招いた。 南雅彦大学時代の同期で同じ班だった。現在アニメプロデューサー。1990年代のアニメ関連の仕事はこの縁によるもの。 岩郷重力下宿の一年先輩。現在ブックデザイナー。 福田雄一映画版『逆境ナイン』、ドラマ版『アオイホノオ』を監督した。 島本を師と呼んでいる。
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