アニメ業界入り、ガイナックスへ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 18:17 UTC 版)
「吉成曜」の記事における「アニメ業界入り、ガイナックスへ」の解説
アニメーターである兄・吉成鋼の手伝いとして、1991年発売のOVA『暴走戦国史 スペクター誕生』で自身初の動画、原画を経験。東京デザイナー学院在学中より、同様の形式で様々な作品に参加する。 卒業後の1992年、マッドハウスに入社。動画マンとしてアニメ制作キャリアをスタートするも、同年退社しガイナックスに移籍。ガイナックスでの動画期間3ヶ月を経て、当時制作中であった『蒼きウル』にイメージボード等として参加する。1995年『新世紀エヴァンゲリオン』では、メカ作画監督や原画を担当。第二話では、初号機と使徒との戦闘シーン後半の原画も手がけた。 2000年『フリクリ』では第1話の鉄橋上の場面など、難度の高いアクションシーンを担当。監督の鶴巻和哉は、「彼はものすごく能力があるんで、当然のようにできちゃう」と後に語っている。また、平行してイラストレーターとしても活動を始め、PlayStation用ソフト『ヴァルキリープロファイル』では、兄の吉成鋼と共同でキャラクターデザインやイラストの仕事も行った。 2007年『天元突破グレンラガン』においてはメインスタッフとして参加しメカデザインを手がけたほか、メインビジュアルなども担当している。同作ではキャラクターが描けないことに不満があったといい、勝手に人の机に置いてあった原画を修正したエピソードなどがある。
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