アニメ演出家としてとは? わかりやすく解説

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アニメ演出家として

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 03:30 UTC 版)

原恵一」の記事における「アニメ演出家として」の解説

東京デザイナー学院(現:専門学校東京ネットウエイブ卒業後、就職活動参加した東京ムービー見学コースから勝手に抜け出し『ルパン三世』演出御厨恭輔入社を頼む。絵コンテ描いてくるようにと言われ『ルパン三世』完成台本渡される一週間10日ほど後に絵コンテ持参し、数週間後に紹介されCM制作会社アドックシステムズへ入社する1年半ほどして黒川慶二郎社長からの紹介シンエイ動画入社最初は『怪物くん』で制作進行務めその後、『フクちゃん』の途中で『ドラえもん』異動し演出助手昇格する。そして1984年『ドラえもん』演出としてデビュー『ドラえもん』での演出通じて当時チーフディレクターだった芝山努緻密な絵コンテ描き込み振り影響受けた藤子・F・不二雄漫画が好きで、シンエイ動画に入る前はアニメ『ドラえもん』よりも原作の方が面白いと思っていた原は、『ドラえもん』演出となると一日中絵コンテ考える生活になる。原が担当した『ドラえもん』のいつもより凝った構図早くも注目されアニメ雑誌アニメージュ1987年2月号に半ページ扱いで、傑作続出させる若手演出家として紹介受けた今でこそドラえもん第2作第1期)』の担当演出作品ファンから絶大な支持受けているが、当時スタッフ中には彼の演出の手腕に難色示した者も少なからず存在し作画スタッフ対立起こしたこともあった。その時仲裁したのが総作監督中村英一であった2017年7月7日までドラえもん第2作第2期)の初代監督であった善聡一郎は「四次元ポケットスペアてんとう虫コミックス『ドラえもん』25収録四次元ポケットスペアがあったのだ』のアニメ化作品)」という話でのび太悪戯怒ったドラえもん両手タケコプター持ってのび太部屋突入するシーンを一番の名演出とし「どっかで真似しよう」と思った語っている。なお、2011年7月8日に同エピソード放送された際、ドラえもんタケコプター持たずのび太部屋突入している。 『オバケのQ太郎』の絵コンテを何本かやった以外は数年『ドラえもん』専念したのち、1987年『エスパー魔美』チーフディレクターとして抜擢され2年半の長きに渡る仕事務め上げた。しかし、若さ故の信頼度低さ災いしてあちこちからクレームの嵐が来た(今でこそ20代監督珍しくないが、当時異例だった)ため、ひどくストレス溜まった後番組チンプイ』でもチーフディレクター打診があったが、『魔美終了後東南アジア旅行することを決め(『チンプイ』のチーフディレクター本郷みつるになる)、『チンプイ』の絵コンテ数本切った休職する旅行は7ヶ月半にわたり、最終的に10ヶ月休職ののちに復帰復帰後は『チンプイ』の演出・絵コンテを少し手がけ、そして後番組『21エモン』監督となるが、人気今ひとつ39話で打ち切りとなった

※この「アニメ演出家として」の解説は、「原恵一」の解説の一部です。
「アニメ演出家として」を含む「原恵一」の記事については、「原恵一」の概要を参照ください。

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