アナディル作戦
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そのような状況下で、キューバとソ連の関係は一層親密化し、カストロはアメリカのキューバ侵攻に備えてソ連に最新鋭のジェット戦闘機や地対空ミサイルなどの供与を要求しはじめた。しかしソ連は1962年夏には、最新兵器の提供の代わりに秘密裏に核ミサイルをキューバ国内に配備するアナディル作戦(ロシア語版) を可決し、キューバ側のカストロもこれを了承した。 キューバへのミサイル配備をフルシチョフが検討を始めたのは1962年4月の終わり頃で、ミコヤン第一副首相との会話の中でミサイル配備が話題となり、その後マリノフスキー国防相とも協議を始めている。ミコヤンは当初懐疑的であった。後にフルシチョフが書いた回顧録によると彼がキューバにミサイルを配備した動機は何よりもキューバの防衛であった。しかしただ防衛だけであったなら、わざわざ隠密に極秘に核ミサイルを運ばなくても堂々とキューバと協定を結んで通常兵器を供与する方がケネディも反対できなかったし、仮にそれが小規模のものであってもアメリカが攻めて来る場合はソ連兵と直接戦闘となるリスクが生じ、歴史上初めてアメリカとソ連が直接武力で戦う覚悟を必要とし、それ故にアメリカのキューバ侵攻の抑止になると考える方が自然である。そう考えなかったフルシチョフにはミサイル配備のバランスでアメリカと均衡させるためにあえて核ミサイルの配備にこだわったと言える。 アナディル作戦の背景には、当時核ミサイルの攻撃能力で大幅な劣勢に立たされていたソ連がその不均衡を挽回する狙いがあった。アメリカは本土にソ連を攻撃可能な大陸間弾道ミサイルを配備し、加えて西ヨーロッパ、そしてトルコにも中距離核ミサイルを配備していた。これに対し、ソ連の大陸間弾道ミサイルはまだ開発段階で、潜水艦と爆撃機による攻撃以外にアメリカ本土を直接攻撃する手段を持たなかったといわれる。 ソ連がアナディル作戦でキューバへの軍事力の展開をするには事前の発覚を避け、それでいて高性能の戦闘機、地対空ミサイル、それを管理する部隊や大量の装備品、そして約5万人の派兵が必要でそれらの人員や装備品を輸送する船舶がおよそ85隻が必要であり、しかもその船舶は何回も往復しなければならなかった。この時に運んだ人員および装備は以下の通りである。 戦術核兵器 中距離弾道ミサイル(IRBM)24基、準中距離弾道ミサイル(MRBM)36基 陸上兵力 4個連隊合せて1万4000名。これらは機甲化されていないが各連隊に戦車、大砲、対戦車ミサイルを装備。そして射程40キロの短距離ロケット36基。 航空兵力 軽爆撃機「イリューシン」(Il-28)42機、戦闘機(MiG-21)40機、その他地対空ミサイル72基。 沿岸防衛 巡航ミサイル(KR-1)80基、巡航ミサイル(S-2)32基、巡視艇12隻。 この他に、海上兵力として潜水艦11隻なども予定していたが、結局キューバには送られなかった。そしてキューバに派遣された人員は4万5234名で、この内海上封鎖が始まった時点で3332名はまだ公海上であった。
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